大紅袍の謎を探る①

その二 状元説

 

天心永楽禅寺の釈沢道禅師と筆者


昔々、一人の秀才が都に上って科挙の試験を受けるため旅をしていた。武夷山のあたりにさしかかった時、突然腹痛を起こして痛みに耐えられなくなり、偶然出会った天心寺の住職に助けを求めた。

 

住職は彼の病状を見て、すぐに部屋の中にあった陶器の入れ物の中から、一握りの乾いた茶葉を取り出し、山水を用いて大きな茶碗に茶を淹れた。秀才はこの茶湯の香りを聞き、一杯目を味わうと心が落ち着き、二杯目を味わうと腹の痛みがなくなった。しばらくすると便意を感じて、お腹がごろごろと大きな音を立て、腸の具合も良くなり、体中の骨からだるさが取れ、毛穴も広がり、たちまちのうちに病気が治った。

 

病気が治った後、心からの感謝を示し、住職に別れを告げて都に赴いた。その後、素晴らしい能力を発揮して科挙の試験に「状元」(首席)で合格。皇帝は、彼の才能が群を抜いていることと、容貌もまさに英雄、俊傑の素質を備えていることに心から喜び、娘婿として迎えた。

 

彼は、功成り名を遂げて故郷に帰国した。その途中、武夷山にさしかかって、かつて、天心寺の住職に命を助けられたことを思い出し、天心寺を参拝して、あのとき飲ませてもらったお茶について聞いた。住職は彼を連れて九龍スへ行き、岩壁の上にある茶樹を指さして、この樹ですよと教えた。彼は大変喜び、すぐに状元に与えられる大紅袍(紅いマント)を脱いで、自ら茶樹に掛けた。これにより、天心寺の住職はこの茶樹を「大紅袍」と名付けたのである。

 

これらの伝説は南強著『武夷岩茶』に出てくるものですが、天心寺の釈沢道禅師によれば、いずれも明初の洪武年間(13681398年)に生まれたものと考えられています。

 

「大紅袍」の茶樹の本当の名前は、「奇丹」という名です。現在の「大紅袍」は烏龍茶ですが、伝説によって「大紅袍」という名前が付いたのであれば、武夷山で烏龍茶が生まれたのが1600年代の末であるとされていることから、それよりも300年ほど前の話ということになります。当時は緑茶の製茶法しかなかったので、烏龍茶としての「大紅袍」の伝説ではないことになります。しかし伝説とはそのようなものです。だからこそ、「大紅袍」は神秘的な名茶なのかもしれません。

 

人民中国インターネット版

 

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