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安徽省・南屏村 千年の古民家たたずむ『菊豆』の故郷

 

叙秩堂には、映画『菊豆』の中の染物家「老楊家染坊」をロケしたときのセットや道具が残されている

 1980年代末、中国の著名な監督・張芸謀は、映画『菊豆』を撮影するため、ロケ地の手がかりを本誌『人民中国』に探っていた。そして、当時掲載されていた安徽省イ県の「徽派建築」の写真を見たとたん、目の色を変えた。89年秋、張芸謀は、映画スターの鞏俐をはじめとする製作スタッフを率いて、安徽省イ県南屏村へ、ロケに出かけた。『菊豆』は、解放前の中国の染物屋を舞台にした人間の愛憎ドラマで、フランスの第43回カンヌ映画祭ルイス・ブニュエル賞(90年)など一連の国際賞に輝いた名作である。その後、美しい南屏村は有名になり、訪れる人は後を絶たない。ここはまた、「南屏村――『菊豆』の故郷」という観光用のキャッチコピーを打ち出して、その名をさらに国内外に馳せている。

 

葉家の支祠「奎光堂」は、八大祠堂の中では規模最大だ。明の弘治年間(1488~1595年)に建てられ、今から400年以上もの歴史をほこる。当時の葉家が四代目の祖先・葉奎公を祭った祠堂で、敷地面積は2000平方メートル以上。優雅で上品、迫力がある
 南屏村は、もとの名を葉村といい、千年以上の歴史をもつ古村落だ。元代(1271~1368年)末期、葉という姓の家族が安徽省祁門県の白馬山から移転して以来、この村落を急速に発展させた。明代になると、南屏村はすでに大きな規模となり、葉、程、李の三つの家族で構成されるようになった。現在、村には合わせて300戸以上が立ち並び、千人あまりの人口がある。「縦横に交わる72本の路地、36の井戸、300あまりの明・清代の古民家がある」と称されている。南屏村は、前回の本誌2004年10月号で紹介した関麓村とはわずか2・5キロの距離にあり、同じく「徽派建築」に属するが、その風格には異なる特徴があるようだ。

 

「小洋楼」の屋上の亭は、村全体を眺望するのに最適な場所だ


 南屏村で「小洋楼」という旅館に泊まった。「小洋楼」は、じつは俗称であるそうだ。清代末期に、村のある豪商が建てた四階建ての建物である。木造・レンガ造りだが、もとの徽州民家の構造を大胆に変えて、ローマ建築のアーチ形の窓をとり入れたため、そう名づけられたのだという。

 

 さらに目を奪われたのが、屋上にある小さな亭だ。それは村全体を眺望するのに、最適な場所である。亭全体が木造で、広さは4、5平方メートル。周囲に手すりと長いすが設けられている。その昔、主人がここに友を招き、茶や酒を飲み、月を愛でては詩を詠んでいたのだろう。いかにも、くつろいでいた様子がうかがえる。ここから四方を眺めると、南屏村の大半をぐるりと見渡すことができる。遠くには青い山脈と黄色い花の咲く畑が、近くには白壁・黒い屋根瓦の民家、そして変化に富んだ「馬頭牆」(階段の形をした切妻壁)が見えた。まさしく、徽州文化独特の趣である。

 

「小洋楼」旅館のおばさんが、手作りの家庭料理を客にふるまう


 現在の「小洋楼」の主人は、1952年生まれの葉小竜さん。夫人は葉小瑛さんで、小竜さんより四つ年下。祖先は河南省南陽の人で、家系図によれば、59代目より南屏村に転居した。その後、小竜さんに至るまで、ここで22代も続いている。曽祖父、祖父はいずれも商人、父は小学校の教師であった。

 

 小竜さんはもともと大工だったが、98年に家族経営による旅館を開いた。朗らかな女将の葉小瑛さんは、「亭からの眺めは最高ですよ。世界文化遺産審査チームの日本人審査員や、イタリアの外相など内外の要人・専門家たちが村に来たとき、みんな屋上に上って景色を眺めたんですよ」と、自信たっぷり教えてくれた。

 

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