海上第一名山――崂山

 

雲海に包まれるロウ峰観

 中国東部沿海にある名山・ロウ山は、古くから「海上第一の名山」の誉れ高く、中国で最初の国家レベルの重点風景名勝区の一つでもある。

 

 ロウ山山脈は446平方キロメートルを占め、海岸線は87.3キロメートルにも及ぶ。主峰は標高1132.7メートルに達する。 

 

 ロウ山は本来、労山という。『詩経』に「山川悠遠にして、維れ其れ労す」という。後漢(25~220年)の経学家鄭康成がかつてロウ山に康成書院を開いたのは、今から1800年あまり前のことである。彼によればロウ山とはすなわち「労山」であり、「労」には広い意味があるという。

 

 秦の始皇帝が東にやって来たとき、ロウ山を訪れた。不老不死の仙薬を求め、泰山の上から蓬莱を眺めるために、ロウ山を削って平らにするよう命じた。高いところから見下ろした皇帝の視線を遮っていたからである。やがて秦の始皇帝は莱子国で「高さ1丈5尺、10人が囲えるほどの大きさ」の石人に出会った。現地の人々によれば、石人は山を動かすことができるという。秦の始皇帝は大いに喜んで、ロウ山を動かさせるために石人を遣わせた。しかしロウ山はあまりに堅固で、石人の力をもってしてもどうすることもできなかった。こうして、秦の始皇帝はロウ山に「牢山」という別名を与えた。

 

 古人の文献にいう。「太山おのずから高いというも、東海の労に及ばず」。ここにいう「太山」はすなわち「泰山」であり、ロウ山の前では、泰山もロウ山に及ばないと嘆くというのである。

 

 ロウ山は道教の名山である。中国道教の全真派の発祥地の一つであり、「道教全真天下第2の叢林」と呼ばれている。明の時代(1368~1644年)の最盛期には、「9宮8観72庵」ともいわれるほど数多くの道教寺院が存在した。唐代の詩人李白(701~762年)もまた「われ昔東海の上、労山に紫霞を餐す」という詩を残していることは広く知られるが、李白はロウ山を、道士が霞を食べて霧を吐く「仙人の境地」と言った。また清代の文学者である蒲松齢(1640~1715年)は『聊斎志異』に、ロウ山で書き上げた「ロウ山道士」と「香玉」という名作を残している。

 

ロウ山の湧き水
ロウ山の奇石

 

 ロウ山はその特殊な自然の地形で、海の中にどっしりとあぐらをかいている。海から切り立ったロウ山の山々は、立ち込めた靄に日が当たって美しく輝き、雲や霧が立ちのぼり、古木が高くそびえている。群山であるために、山の峰と尾根とが相連なり、延々と遙か遠くまで続く。清末の康有為は、ロウ山を天から降りて来た「碧芙蓉(碧く輝く美しい芙蓉の花)」にたとえた。「天上の碧芙蓉、誰ぞ東海の浜に擲つや」は、康有為の言である。

 

 ロウ山では、天麻(オニノヤガラ)など貴重な漢方薬材が豊富に産出する。『神農本草』や『本草図経』といった書物の中にも、その記載が見られる。数千年来、青島の人々は先祖代々ロウ山のふもとで生活し、ロウ山を愛してやまない。人々が口にする「どんな困難があろうとも、ロウ山を離れない」という言葉も、そんな思いを証明するものの一つである。    (王鐸=文  張岩=写真)

 

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