「山神」に守られる 「白馬人」の仮面踊り

 

 白馬チベット族の民族学的分類については、人類学者の間に異なる意見があった。1950年代の初め、公式にはチベット族の一脈とされたが、生活習慣、信仰、風俗の面でチベット族と異なることから、白馬チベット族と呼ばれるようになった。彼らは自らのことを「白馬人」と呼んでいる。

 

チベット族兵士の末裔

 

「十二相」踊りの踊り手たちは各家を回って魔除けをする
2日間の雨のあと、九寨溝の県城を離れ、勿角郷の下勿角村へ向かった。車で南へ約50キロを走ったあたりから、幅わずか2メートルしかない、ぬかるんだ道を通って山へ登って行った。

 

下勿角村は高山にあり、白馬チベット族が住んでいる村である。

 

近くに住む平武県の「白馬人」の女性。九寨溝の同族の女性の服飾とは少し違っている
唐時代、青海・チベット高原に存在した中国チベット族の地方政権吐蕃王朝と唐王朝は、この地で激しく戦った。この戦争は吐蕃の勝利で終わったが、一部の吐蕃の兵士は奥山に忘れられた。年月が経つにつれて、元兵士たちは半農半猟の生活を送りながら、土地の人と結婚して子供を生み育ててきた。彼らは、故郷を懐かしんで自分たちのことを「白馬」と言う。チベット族の古語で「白馬」は、「チベット族の兵士」の意味だ。

 

下勿角村の58歳の村長バンウンユィさんによると、「白馬人」は、主に四川省の平武県と九寨溝県、甘粛省の文県に分布し、現在、約2万人が住んでいるという。

 

独特な風俗の「白馬人」

 

編んだ髪に飾れた「魚骨片」
チベット族の家には、普通チベット仏教、あるいはボン教の仏像が祭られているのだが、バンウンユィさんの家にはそれらが祭られていなかった。チベットの地域でよく見かけるタルチョ(経幡)も、村のどこにも見られない。村長は、「私たちは仏教を信仰していないし、文字もありません。昔の事は、すべて代々口で伝えてきました」と説明する。

 

この村でとても目を引いたものがある。それは「白馬人」の服飾だ。女性は、髪を後ろで一つに編み、2本の白い鶏の羽を挿した黒いフェルト帽子をかぶっている。帽子の真ん中には、貝を磨いて作った丸い飾り物の「魚骨片」が飾られていた。

 

「魚骨片」は外から持ち込まれた装飾品だ。交通が不便だった昔、貝はとても珍しい品で、「白馬人」にとってそれは、豊かな生活を象徴するものだった。裕福な家の女性は、「魚骨片」を帽子に飾るだけではなく、服の胸元に縫いつけ、編みこんだ髪にも飾る。村長は、身に着けた「魚骨片」が多ければ多いほど、生活が豊かなことを示していると語る。

 

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