ラスト、コーション(色,戒)

 

 監督 アン・リー(李安)

2007年 158分

2008年2月2日 日本全国公開

 

あらすじ

 

 1939年、日本の侵略を逃れて香港に疎開した嶺南大学の学生の王佳芝は、愛国劇を上演した仲間と共に、香港にやって来た汪精衛一行の特務機関員である易黙成に色仕掛けで近づき、暗殺しようと謀る。しかし、暗殺遂行直前にして、易とその妻は上海に帰ることになり、易への紹介の手引きをした男に計画がばれて脅されたため、逆に男を残忍に殺害した仲間たちから王佳芝は身を隠し、3年後、叔母を頼って上海へ行く。

 

一足先に上海で国民党の地下活動員となったかつての仲間たちは佳芝に近づき、一旦は中断した易の暗殺計画に誘い、佳芝は元の偽りの身分で易の家に入りこみ、易を誘惑する。だが、易と肉体関係を結ぶうち、男の内心の深淵をのぞいた王佳芝はその心に寄り添うかのような態度を見せ、さしもの易も彼女に心を動かされ、ダイヤの指輪を贈る約束をする。まんまと易を仲間たちの見張る宝石商におびきよせた佳芝だったが、いざという時に、易を逃してしまう。からくも逃げおおせた易は自らの身を守るため、王佳芝の銃殺執行命令に署名をするのだった。

 

見どころ

 

 話題の過激なベッドシーンは王佳芝が易に惹かれていったのは性愛が愛に変わったためだという理屈を観客に納得させたかったためと思われる。原作ではその理屈は男根主義だと否定されているにもかかわらず。もちろん、女を抱いている瞬間だけは罪悪感と恐怖心から逃れられるという易の心の深淵を描く目的もある。そして、また、そのベッドシーンがこの映画の何よりの売りになる点もアン・リーは充分に承知していたはず。つまり、この作品は東洋と西洋の文化の差異を充分に心得、客を呼べなければ映画ではないというアメリカの映画産業の厳しさを知り尽くし、なおかつ芸術性のある商業映画を撮ることにこだわる、実にアン・リーらしい作品であると言える。こうした作品はどんなに大金をつぎ込んでも、映画は監督の作品であるという呪縛にとらわれた中国の監督には撮り得ない。ヴェネチア国際映画祭で審査委員長の張芸謀が姜文ではなくアン・リーに金獅子賞を与えたのは、その点に「我服了(参った)」と思ったからではないだろうか。

 

解説

 日本が占領した「孤島」時代の上海に彗星のように現れ消えて行った作家、張愛玲の同名の短編小説をアン・リーが映画化。大筋は原作通りだが、主題については監督独自の解釈がなされ、原作とは実は似て非なるものに仕上がっている。

 

両者が決定的に違うのは、張愛玲は男女の愛を冷徹に見すえているのに対し、アン・リーは二人の間には愛があったとしている点。短い結婚生活とは言え、張愛玲の夫であった日本の傀儡政権の高官の胡蘭成は、日本の敗戦後、彼女を置いて逃亡、日本へと亡命している。張愛玲が自分と胡蘭成を投影したようなこの物語を発表したのは、新中国誕生後、苦労して単身香港経由でアメリカに移民し、さらに20年が経ってからのこと。そうした作者が書いた原作では、王佳芝が易を逃がすのは単に一時の情にかられたからに過ぎず、易もまた自分の命を救った王を殺すことにほとんどためらいを見せない冷酷な男として描かれている。

 

しかし、アン・リーは、原作にはない虹口の日本料亭でのシーンを創作、売国奴である身を自嘲する易を王が「患難之交、恩愛深」と歌って慰めるなど、二人の心が寄り添っていく過程を見せたうえ、王の銃殺刑が執行される時間には、易に王が寝泊りしていた部屋のベッドで、愛した女を殺したことに涙させる。

 

己の所業に深い恐怖心を抱く易の内面性を描いたために、売国奴を美化したという批判もあったと聞くが、大義のためには部下の心情や犠牲を顧みようともしない、残忍で冷酷な国民党の地下活動指導者の呉の描き方などを見ても、アン・リーは政治的立場の違いではなく、人間性そのものを描こうとしたのだろう。

 

そうしたアン・リーの甘さをどう受け取るかで映画に対する評価は分かれるところだが、1940年代の上海の風俗の描写などは実に凝っていて、娯楽通俗映画としての完成度は非常に高い。

 

水野衛子 (みずのえいこ)
 中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。

 

人民中国インターネット版

 

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