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一人一人が参加した北京オリンピック

 

北京オリンピックの開催期間中、選手として、あるいは観客として、競技会場で直接、オリンピックの雰囲気を肌で感じることができる人はやはり少数である。しかしほとんどの市民はテレビで観戦するだけでなく、多彩な催しに参加したり、ボランティアをしたりすることによってオリンピックに参加し、その雰囲気に浸った。一部の家庭は民宿として、外国の観光客を迎える「五輪の家」となった。

豊富多彩な催し

 

北京の市民たちはさまざまな文化活動に参加し、オリンピックを迎えた

北京五輪が開催される前に北京オリンピック組織委員会は、今回のオリンピックは単なるスポーツの大会ではなく、文化の大会でもあると強調した。これに沿って7月末から北京五輪が閉幕するまで、北京ではオリンピック文化祭の一連の催しが開催された。

北京の20あまりの公園や広場には、「オリンピック文化広場」が設立され、オリンピックに関する知識を宣伝する展示が開催された。また各種の運動器具を設置して観光客に試してもらい、夜にはさまざまな公演が行われ、市民や観光客は無料で観ることができた。

そのほか、多くの展覧館や博物館もこれらのイベントにあわせて「オリンピック博覧会」を開催し、中国やギリシャの古代競技やゲームに関する展示を行なった。また、中国古代の歴史や文化を展示する各種の文物逸品展を開催したところもある。

その中でもっとも注目を集めたのは、「中国の記憶――5000年の文明の宝物展」である。この展覧会には、全国55の博物館が所蔵する「逸品」が集められた。例えば、馬王堆で出土した前漢の帛画、徐州の金縷玉衣、欧陽詢の行書『夢奠帖』など、いずれもめったに見られない珍品が出展された。

競技会場が集まっているオリンピック公園の公共エリアでは、多彩な催しがより頻繁に催された。緑地に囲まれた野外舞台の「祥雲劇場」には、毎晩、中国や外国の芸術家が出演。また毎日、午前10時から午後4時まで、公園の中心エリアではオリンピックのマスコットの福娃による40分ほどの「野外パレード」が行われた。5つの福娃は5台の「花車」に乗ってゆっくり進み、車の周りでは、雑技や武術、ストリートダンスなどが演じられた。パレードのたびに多くの観光客が集まり、これをバックに記念写真を撮っていた。

オリンピック公園の中心エリアには、30あまりの省や直轄市の仮設の展示スペースが置かれた。それは「祥雲小屋」と名づけられ、広さは80から100平米までで、それぞれその地方のもっとも代表的な無形文化財や民間文化が展示された。

北京の「祥雲小屋」のテーマは「皇城文化」。紫禁城の宮殿の玉座や七宝焼きの「鳥巣の尊」(鳥の巣をかたどった酒器)、内壁に絵が描かれた嗅ぎ煙草のガラス瓶、「北京絹人形」(絹で作った人形)、皇后が着用した「鳳袍」(鳳凰の模様を刺繍した長衣)、玉製の花卉の置物……いずれも豪華なものばかりである。

チベットの「祥雲小屋」では、チベット族の長編叙事詩『ケサル王物語』などのチベット劇が演じられたり、絵師によるタンカ(仏教絵画をかいた布)が現場で制作されたりした。観光客はそれらを通じて、チベット高原の神秘と美しさを感じることができた。チベット族の特色ある陶器、銅器、銀器とタンカのほか、チベットから運んできたもう一点の展示品があった。それはチベットのシンボルであるポタラ宮の木製模型である。

また、陝西省の「祥雲小屋」では影絵芝居を観賞したり、雲南省の小屋では本物の普洱茶を味わったり、江西省の小屋では景徳鎮の明清時代の民窯から掘り出された1000枚ほどの青花の磁器の破片を敷き詰めた「百年の磁器の道」を楽しんだり、さらに天津市の小屋では、自分で楊柳青の年画をつくってみたり……「祥雲小屋」を1回りすると、1日で中国全土を1回りしたような気分になった。

学生ボランティアの誇り

オリンピック公園の催しはすばらしいが、そこでサービスをするボランティアたちはゆっくりそれを楽しむ暇はない。統計によると、北京五輪とパラリンピックの開催期間中、全部で10万人のボランティアが参加するが、そのうち90%は大学生である。彼らは毎日朝早く持ち場に就き、夜遅くなってから学校に戻る。持ち場はオリンピック競技会場ときわめて近いが、競技を観ることはまったくできない。それでも彼らは、自分がオリンピックのボランティアとして参加できたことに興奮し、誇りを感じている。

四川省から来た王奕林さんは今年7月に大学を卒業し、すでに地元のある企業に就職した。しかし、北京五輪のボランティア活動に参加するため、彼女は会社に、仕事を始めるのを1カ月遅らせてほしいと申し入れた。現在、彼女は、オリンピック公園の公共エリアでガイドの仕事を担当している。

彼女は言う。「小さいころからオリンピックを見るのが好きで、ずっとボランティアとして北京五輪に参加しようと思って来ました。今のガイドの仕事は、勝手に席を離れることはできず、試合を観ることはできません。ただ場内から聞こえてくる歓呼の声や拍手を聞くだけで、確かに少し残念です。それでも競技会場の近くでみなさんにサービスをし、オリンピックに少し貢献できるので、非常に興奮しています」

北京林業大学3年生の高広磊さんは、ボランティアの管理業務を担当する責任者の1人である。彼のチームはボランティアを後方から支え、ポスターや活動に関する簡単な通信などを制作してボランティアたちを励ましている。彼自身の言葉を借りれば、彼の仕事は「ボランティアのボランティア」である。

高さんの大学からは合わせて1500人以上の学生がオリンピックのボランティアとなったが、その大部分の学生は競技会場の外の公共エリアで、ガイドや通訳、物資の運送、催しものでのマスコットの着ぐるみ役などでサービスしている。競技会場内のボランティアと比べると、彼らの仕事は競技会場の運営とはかなり離れているように見えるが、欠くことができない仕事だ。だから彼らにはもっと強い責任感と仕事への情熱が要求されるのだ。

高さんは言う。「今回、ボランティアになって活動した最大の収穫は、世界のスポーツの祭典である北京五輪に力を貸すことができたことです。それによって特別な誇りと栄誉を感じました。こうした体験は今までにありません。そして、時間は短かくとも、これほど多くのボランティアといっしょに仕事ができ、みんなが協力しあい、深い友情で結ばれました。これも非常に貴重な体験です。これに比べれば、仕事の疲れや試合を観戦できない残念さも、たいしたことではありません」

今年27歳の相澤拓也さんは、唯一の日本から来た外国人のボランティアである。昨年4月、温家宝総理が訪日した際、立命館大学で学生と交流会を行なったが、その席で、同大学の孔子学院の学生の相澤さんは温総理に「北京五輪がいよいよ開幕しますが、どのようにしたらボランティアになれるのでしょうか」と尋ねた。温家宝総理は「外国人のボランティアとして参加してくれるのを歓迎します」と答えた。

駐日中国大使館や北京オリンピック組織委員会と何度もメールでやり取りをし、相澤さんはついにボランティア活動に参加する許可を得た。ちょうどそのとき、彼は税理士試験の勉強に忙しかったが、何度も考えた末、北京に行こうと決意した。

相澤さんの持ち場はメーンスタジアムの「鳥の巣」。「僕に与えられた任務は観客サービスです。中国の観客の熱気はすごく、競技開始後まもなく、会場は人で埋め尽くされてしまいました。僕自身は競技自体よりも、観客の熱気と競技場の壮大さに圧倒されてしまいました。僕のボランティア活動はわずか二日間でしたが、中国人のオリンピック成功にかける思いを直接肌で感じました。この中国人のパワーが、大会終了後、経済発展や環境保護など良い方向に向かってくれるといいと思います」と彼は言った。

外国人迎えた「五輪の家」

北京・什刹海の南官房胡同にある「五輪の家」を見物するルクセンブルクからの観光客

北京五輪の開催中、観戦や旅行で北京に来た外国の観光客はホテルで泊まるばかりでなく、一部の北京市民の民宿を利用し、一般の中国人の日常生活を体験することができた。

什刹海近くの南官房胡同39号院にある朱宝華さんの家は、対外開放された「五輪の家」の1つである。標準的な四合院で、母屋と東側の別棟を観光客の客室とし、家族は西側の別棟に住んだ。庭にはザクロの木が植えられ、葡萄棚には葡萄の蔓がはい、玄関には金魚鉢が置かれている。葡萄棚の下に座り、お茶を飲みながら、主人はこうした庭の配置や置物の持つ秘められた意味について語ってくれる。

朱さんによると、この住宅には200年ほどの歴史があるという。彼の祖先が1915年に1200枚の銀貨を払って買ったものだ。2004年、この四合院を改修したが、その後、外国の観光客がたびたび見せてほしいとやって来るようになった。そこで、朱さんの一家は思い切って四合院文化を世界に広める「使者」となることにし、自分の家で観光客を接待し、解説する活動を始めた。だんだんと朱さんの小さな家は什刹海の辺りで有名になった。

「五輪の家」の募集が始まったのを知ると、朱さんはただちに申し込んだ。「北京五輪の開催中、多くの外国人が北京にやってくるに違いない。私は主人であり解説員でもあるという二重の身分で、彼らに中国の独特な伝統文化を紹介したいと思います」と朱さんは言う。

朱さんの家に泊まったドイツの夫婦は「ホテルなんかに泊まりたくない。あそこはなんの特色もないから。それより私たちは北京の市民の家に泊まり、彼らといっしょに暮らすのが好きです。そうすれば家庭的な気分を味わえるだけでなく、違う国の庶民生活を体験することもできるからです」と話していた。

現在、北京には598の「五輪の家」が対外開放されている。受け入れるのは主に、外国の旅行社が組織した観戦、修学、観光のグループである。オリンピックが終わったあと、「五輪の家」は、通常の民宿として経営を続ける見込みだ。0809

 

人民中国インターネット版 2008年10月8日

 

 

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