改革開放30周年:工場労働者から経営者へ 隋さんの場合

 

旧正月初日。隋国宏さんは家族との夕食後、窓を開けて外の空気を吸った。遼寧省丹東市の夜はとても寒い。だが隋さんは、「鴨緑江のほとりの空気を吸うのが好きだ。新鮮で自由だから」と語る。

今年46歳になる隋さんは就職後、印刷業をずっと続けてきた。隋さんの人生の分かれ目となったのは1992年。国営企業の工場労働者だった隋さんは個人経営者となる道を選んだ。「改革開放がなければ、私の今の生活はなかった」と隋さんは語る。

隋さんは1980年、父親の後を継いで、丹東市の印刷工場の労働者となった。最初の月の給料は37元。だがこの月給はその後何年も変わらなかった。「どれだけ頑張っても37元より多くなることはない。できが悪くても少なくなることはない」。1992年の元旦、隋さんは妻と共に眠れない夜を過ごした。「工場を出て自分でやってこそ、希望も未来も開ける」。隋さんは今も妻の励ましを忘れない。

工場を辞職した隋さんはまず、瀋陽市で壁掛けカレンダーを仕入れ、丹東のマーケットに出荷する仕事を始めた。この仕事ではいっきに数千元を手にした。この話になると当時の興奮が今もよみがえってくるという隋さんは、「改革開放をして、共産党はよかった」と記者に語った。「1999年に私は宿舎を出て、鴨緑江ほとりの2DKの分譲住宅に移り住んだ。2006年には車を買った。冷蔵庫やカラーテレビはいうまでもない。買いたければ買うし、換えたければ換える」。

「WTO加盟というできごともあった」。隋さんは語る。「詳しくはわからないが、私たちの生活に大きな変化を与えた。モノはどんどん豊富になり、価格も安くなった。私は今、国内の輸出企業の印刷を請け負っている。これらの企業の景気はここ数年、どんどんよくなっているし、私の収入も上がっている。改革開放によって、状況はどんどんよくなっている」。

 

「人民網日本語版」 2008年10月14日

 

 


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