改革開放30周年:出稼ぎ青年の盧さん マイカーも購入

 

「僕は改革開放と一緒に成長してきたようなものだ。改革開放がなければ、故郷の東北地方から北京に出稼ぎにくることもなかった。自分の自動車を運転することもできなかっただろう」。改革開放初期の生まれである盧鶴さんは昨年の大みそ日、北京市の南側の第2環状路にある二人部屋で感慨深げに語った。「新華網」が伝えた。

盧さんは現在、北京の自家用車販売会社に務めている。この会社に入る前の数年間は警備員の仕事をしていた。「改革開放と一緒に成長してきた」という盧さんの言い回しはぴったりだ。盧さんの生活に起こった変化だけではなく、盧さんが従事する仕事そのものさえ、改革開放の産物と言えるからだ。1984年にできた警備サービス会社も、中国の家庭に普及しつつある自家用車も、改革開放が進む中で少しずつ発展してきた分野だ。

「僕が小さいとき、生活はとても苦しかった。一年中節約に努めてもいくらも残らなかった」と盧さんは語る。「年齢が上がるに従って、生活もだんだんよくなってきた。学校を卒業してからは、ちょうどいい仕事が見つからなかったからこっちに出てきた」。改革開放は盧さんに広い舞台を与えた。「もともとは北京を見てみたいという気持ちだった。こんなに順調に進むなんて考えていなかった。北京は僕にたくさんのチャンスをくれた」。

盧さんは7年前、北京で警備員の仕事を始めた。千元以上の月収は家族で最も多く、盧さんはすぐに家計を支えるようになった。時代の流れに乗るため、盧さんはさまざまな方法で自分を鍛えてきた。英語を自分で勉強し、節約して貯めた3千元でコンピューターを学び、もう3千元出して運転も習った。

経済の発展も盧さんにより多くのチャンスを提供した。盧さんは05年、自動車販売の仕事を始め、すばらしい業績で収入も急増した。数年前は数十元のチケット代を惜しんで故宮博物院にも入らなかったものだが、今は「万里の長城や故宮など北京の主な観光スポットは回り尽くした」。数年前は交通費を惜しんで旧正月の帰郷を諦めたものだが、今は「マイカーで北京を走り尽くした」というまでになった。盧さんは、「ここ数年の発展で重要だったのは『思想の解放』だと思う。それがなければ現在もなかったし、未来もなかっただろう」と語る。

 

「人民網日本語版」 2008年10月14日

 

 


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