自転車王国は記憶のなかに

 

出退社のラッシュ時、あふれる自転車の“大軍”はまさに中国の都市の一大景観。中国は「自転車王国」と呼ばれるようになった かつて、自転車を1台持つことは、人びとを興奮させる、最先端を行くものだった 60-80年代、人びとは外出する際はもっぱら公共バスに頼っていた

かつて、列車に乗って出かけることなどそうなかった 中国数千年の歴史で最も親しまれた交通手段は馬車

北京の故宮。ブランド車「紅旗」にお目にかかれることは少なかった。写真を撮る観光客ら 河南省霊宝県の農民が自発的に組織した「農村オートバイレース」。80年代、改革の進展に伴って農民の生活は豊かになり、多くの家庭が自転車の代わりにオートバイを購入するようになった

新中国建国後、とくに80年代、自転車は徐々に多くの一般家庭に浸透するようになり、普及率最高の交通手段となった。自転車のおかげで、中国人は初めてスピード感を体験。皇帝の足元(北京)であれ、農村の田野であれ、至るところで自転車が走り回り、至るところで澄んだベルの音が響き渡った。

そのころ、朝の出勤のピーク時には、膨大な数の自転車が一斉に街にあふれ出し、実に壮観だった。こうした自転車の光景は世界でも珍しく、外国人から「世界8番目の奇観」と呼ばれるようになった。自転車に乗れる、自分の自転車を持つことが多くの子どもたちの夢に。感動的なあるラブストーリーのなかで、若い男性が女性を乗せ、風を受けながら愉しそうに自転車をこいでいく。その時代の象徴性に富んだシーンだ。多くの人には懐かしい思い出だろう。自転車のブランド「永久」と「鳳凰」。耐久性が良かったことから全国的に名を馳せ、富裕な家庭では女性の嫁入り道具の1つとなった。自転車は、当時の一般家庭にとっては手ごろな交通手段とはいえ、「大きな買い物」でもあった。だが、自転車は一時代の記憶のなかで消え去ることのできないものとなり、中国人は自転車に特別の思いを抱くようになった。

90年代以降、オートバイや乗用車が徐々に家庭に浸透していく。それでも自転車はやはり通常の交通手段だったが、余り利用されることはなくなった。自転車1台の値段は当初、大半の人の3カ月分の賃金に相当、今では一般ホワイトカラーの月給の10分の1だ。都市の面積が拡大するにつれ、自転車では遠距離が大変になったことから、人びとはさらにスピードや快適さを選ぶようになり、それによって最適な乗用車が交通手段となった。「自転車の大海原」の時代は過ぎ去ったとはいえ、自転車は姿を消してはいない。

自転車の生産は日進月歩で、折り畳み式、ギア付き、電動式と絶えず新製品が出てきた。都市の交通渋滞や上がり続けるガソリン価格から、廉価で環境を保護し、健康にプラスとなる手段として、自転車は依然として独特の強みを持つ。自転車のより多くの利用を奨励し、排ガスやエネルギーの消耗を減らそうと、北京や杭州などでは「公共自転車」政策を実施。デポジットを払えば、その場で借りた自転車を、別の場所で返すこともできる。公共自転車は今、世界的な流行で、パリやソウルなどが積極的に推進している。

自転車は今や、交通手段、都市交通にとって有益な補完手段のみならず、自然に親しむ、環境を保護する、健康でグリーンな活動の「符号」ともなっている。自転車は過去の交通手段などではなく、自然への回帰と時代の進歩を象徴する「新しい趣味」でもあるのだ。

 

「チャイナネット」2008年10月17日

 

 


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