東洋学園大学教授、中国の改革開放成功が世界を啓発

 

「中国は改革開放30年で未曾有の成果を遂げた。なかでも成功事例は今後の中国の発展と世界各国にとって貴重な啓発となるだろう」と指摘する東洋学園大学の朱建栄・教授(日本華人教授会議の責任者)は、これまで30年間ずっと中日両国の間に立ち、中国で起こる変化に注目し、独自の考えを持つ人の一人だ。「中国新聞網」が伝えた。

朱教授は11日に記者の取材を受け、中国の改革開放が成功した最大の要因は、世界の先進国の一般的な発展ルールを参考にし、最も肝心となる国の発展順序という命題に対して正しい判断を下したことにあると指摘。戦後の日本や韓国、シンガポールなどの発展路線から、まず経済の基盤を築いて、徐々に社会改造を進め、政治調整に着手してきたのを見て取った。過去30年間の中で理想主義者が社会改革を訴えた時期もあったが、指導者が常に大局に根ざし、経済建設という核をつかんできたからこそ、30年で中国人の生活水準は年々向上し、全国の教育水準も猛スピードで高まった。

中国は現段階で確かに数多くの社会問題を抱えているが、多くの問題は国全体の発展レベルの向上と直接関連するものだ。例えば、環境保護、食品安全、権利保障などの問題はすべて国民が権力意識の底上げや、個人のニーズと生活の質の向上を求め、社会の管理メカニズム全体に対してさらに高い要求を出していることの現れだ。中国が改革開放の第一段階で成した成果は次の段階の社会改造や統合改革への確固たる基礎を築き上げた。

1978年10月の鄧小平の日本訪問は、当時華東師範大学で日本語を専攻していた朱建栄教授に強い印象を残した。改革開放の総設計師、鄧小平は訪日前に中国東北部の国営鉄鋼企業をわざわざ視察して、日本で新日鉄などの重工業企業を視察。中国と日本を意識的に比較研究しているのが明らかだったという。

この事例からも中国の改革は、進んだ文化や生産力など各国のプラス面を積極的に取り入れて利用することで成功できたことが見て取れる。旧ソ連と違う点は、西側の先進国に単に「接近」するのではなく、より大きな可能性に目を向けていた。例えば、蘇州工業パークはシンガポールをモデルにし、民法の改訂は香港の大陸法体系を参考にし、多重債務問題の処理は80年代に日本が成功した経験に多く学んだ。学ぶべきことを取捨選択し、実践と組み合わせるという考え方を通じて、中国は自国の国情に合った発展への道を切り開いた。

さらに国内改革の順調な進展はよりよい外の環境と切っても切り離せない。鄧小平が経済発展を目指し提唱した全面的な外交理念から、今日のウィンウィン実現を目指した調和外交に至るまで、中国の外交は時代の中で経済建設の指導方針からそれることがなかった。この30年間、中国は外との対立を緩和し、関係を改善し、隔たりをなくし、経済成長に必要な安定した平和な環境を築いてきた。特に注目に値するのは、近年中国の外交は新たな時期における新たな特徴を呈している。すなわち、問題に直面し、意見の対立を解決する際に、中国側は自身の利益を確保するだけでなく、対話を通じて、双方が相対的に満足するウィンウィンの方法を見い出すようになった。こういった努力は国際社会にとって欠かせない中国の役割を日増しに突出し、幅広く称賛されていることでもある。

中国改革開放によって成し得た成果は誰の目にも明らかで特に強調する必要はないが、30年の節目のこの時に「どの経験が今後に生かせるか」の検討が重要になってくる。実践によって証明された「中国の経験」は、わたしたち自身の今後の道のりをより穏健にするだけでなく、ほかの発展途上国をも啓発し、中国の改革開放の中から全世界がより多くの利益を得るのは間違いない。

 

「人民網日本語版」 2008年11月12日

 

 


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