農村改革30年を振り返る
-農村経済改革を最初に始めた小崗村-


 

1978年、安徽省鳳陽県小崗村の18人の農民は、もう二度と飢える気はなく、集団生産労働制から戸別請負制への移行を決めた。彼ら自身は思いもかけなかったが、それは当時の中国の農村において、最初に戸別請負制を実行した村となった。その後、中国各地の農村では広く連合生産請負制が進められ、中国経済の改革はこれより全面的に展開した。30年が過ぎ、小崗村は結局、どのような変化を経たのだろうか?

餓鬼にはならず。18戸は「戸別請負制」に指印を押した

小崗村のある安徽省鳳陽県は、交通が不便で、中国の貧困地区として知られ、多くの農民は村を出て乞食となり糊口をしのいでいた。1978年末、小崗村生産隊の18人の農民は、厳俊昌・生産隊長、厳宏昌・副生産隊長の召集で集会を開き、農地を分け、戸別請負制を決定した。厳宏昌さんは、当時、一枚のザラ紙に「我々は耕地を各自に分け、各戸が記名し、押印する。今後、働きがよく、毎戸が一年分の公糧(穀物で国家に納める農業税)を確かに納められるなら、決してそれ以上、国家に金銭や食糧を求めない。もしだめなら、我々、幹部は入獄、死刑さえも甘んじる。ほかのみなは、幹部の子供たちを18歳まで養うことを保証する」と書いたのを覚えている。厳宏昌さんは、彼らはまた「各戸への農地分割は、外部の人間に漏らさない。毎年夏と秋、穀物を納める時期には、国家分、集団分を残し、余ったものは各戸のものとする」と協定を結んだ。

当時、国家は、集団経済下の人民公社制を実行していたが、18人のもう二度と飢える気のない農民は、1枚の「血判状」の上に自分の名前を記し、中国の伝統のやりかたに従って血判を押した。

しかし、彼らは思いもよらなかったことに、その行動は、中国農村改革の序幕を開けたこととなった。

最低限の生活水準から富裕へ、難儀の多い一筋の道

全面請負制ののちの数年は、「天の時、地の利、人の和」そのものであり、小崗村の食糧生産は豊作であり、収入は年を追うごとに増えた。一時期、小崗村は、当時の農村改革の見本となった。しかし、食糧の日増しの増加によって、販売が難しくなり始めた。原料価格は日増しに上昇しているが、農業だけでは豊かにはなれない。小崗村はどう進むべきか、難題が厳宏昌さんの前にたちふさがった。

80年代中期、厳宏昌さんは、豊かになる道を探すため、自費で全国を考察にまわり、農民企業がおそらく一つの進むべき方向になると見て、ビニール袋加工の項目を探しあてた。けれど、農民たちは、同じようには考えられなかった。

厳宏昌さんは、仕方なく自分で1万元を使い、ビニール袋再生機を2台購入、自ら仕事に取り組んだ。その結果、6カ月で数万元を儲けた。この時、資本主義だと批判を受け、驚いてコードを取り払った。機械は今に至るまで家に置いてある。

90年代になると、江蘇、浙江省一帯の農村はみな小崗村を追い抜かし、小崗村の幹部と農民は豊かになることへの緊迫感を覚えた。

厳宏昌さんは、小崗村が「一年で最低限の生活水準の境界線を超えたが、二十年たっても富裕の敷居を越えられない」のを見ていたくなかった。彼は工業なしでは豊かになれない道理を認め、1993年、小崗村農業実業総公司を成立させ、プロジェクトを導入して企業を興し、集団経済を大きくすることを望んだ。公司の管理のもと、十幾つの小崗村の名前を冠した公司が前後して成立したが、最終的には挫折した。

1978年、農村改革の第一歩を踏み出した小崗の村人は発展の道の上で、自分の未来の道を引き続き苦しみながら探していた。

市場経済下の新しい発展の方向

2004年、安徽省は小崗村に沈浩と呼ぶ、1人の党支部書記を遣わした。彼は小崗村の再起のため、新しい発展の方向を提案した。鳳陽県小崗村協同組合を成立させ、小崗村と上海大龍畜禽養殖有限公司と?州市糧食局の持ち株で、以前の毎戸ごとの生産を共同組合方式に変えた。協同組合は、1ムー(6.667アール)500元の価格で農民の土地を借りうけ、暫定借用期間を5年とした。5年後、農民は土地もって株主となり利益分配を受けるか、または再び賃貸契約を結んでもよい。集めた土地には、収穫率の高い飼料用とうもろこし、有機野菜、キイチゴなどを植えた。これは小崗の「第二次土地改革」といわれ、村に論争を巻き起こした。

小崗村のような交通が不便で、まだ市場経済が完全に行われていない村では、一つ一つの辛い試みが農民の豊かな生活への憧れと追求を体現している。若い呉広徳さんは、自らのブドウ園のなかでブドウだなの小さな苗の育ち具合を観察している。「昔は私の家では米、黒豆、落花生を植えていたが、1ムーごと1000元余りの粗利にしかならなかった。ブドウにしてからは、収益は農作物の3倍から4倍になっている」呉さんは得意さを隠せない様子で、来年はさらに4ムーのブドウを植える予定にしており、収入はおそらく3万元になるという。

傍らに立つ沈浩書記は、「これは私たちがいま進めている農村機構調整の一つの良い試みで、小崗村新農村建設の三ステップのうちの一つです。第二ステップでは、請負制記念館の革命教育観光旅行をきっかけとし、エコツーリズムを発展させます。少し前、安徽省は小崗工業園に2平方キロの土地を批准し、ビジネスを招き、投資を呼び込ませています。これが小崗発展の第三ステップとなります」

最近、厳宏昌さんと鳳陽県のある会社は話し合い、村に建設施工会社を成立させようとしている。こうすれば農民は会社で仕事ができるだけでなく、家も土地も離れることなく、労働が必要な時には、農地で働ける。

「工場で働く労働者になるのは、小崗人の30年来の願望と追求です」と厳宏昌さんはいう。

 

人民中国インターネット版 2008年12月8日

 

 


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