遼・金王朝 千年の時をこえて 第8回

 

 宋王朝が中国の南部で栄えていた頃、中国北方はモンゴル系の契丹人によって建てられた遼(907~1125年)と東北部から興ったツングース系女真族の金(1115~1234年)の支配するところとなっていた。これら両王朝の時代に北京は初めて国都となったのである。新連載では、私が長い時間をかけて探し求めた遼・金遺跡にまつわるエピソードを、写真とともにお届けする。

 

遼三彩 羅漢の謎

 

パリのギメ美術館所蔵の羅漢像 (フラッシュを使用し撮影)

大英博物館所蔵の等身大遼三彩羅漢像

私が大英博物館で、初めて易県の素晴らしい羅漢像に出会ったのは、1997年のことであった。この瓷製の仏像は、私がこれまでに見た中国の彫刻とは全く趣を異にしていた。全体像は等身大で、その容貌はわずかに憂いを含んだ高貴さを湛えていた。そして、台座ともども、光沢のある三彩釉で彩色が施されていた。私はこれほど大きな羅漢像が窯で焼かれたとは、とても信じられない驚きを感じた。

この像は河北省易県の洞窟で発見された遼代の十六羅漢(または十八羅漢)の一体であることが確認されている。後日、私はパリのギメ美術館で、この一群のものと思われる羅漢像を見る機会があった。いずれの博物館も、この貴重な美術品の美しさと個性にふさわしい立派な展示を工夫している。これらの羅漢たちは、いったいどこで生まれたのか、そしてなぜ中国国内には一体も残っていないのか、私の好奇心は深まる一方であった。

北京一帯で、私の知るかぎり遼三彩の仏像は、門頭溝西の永定河沿いにある龍泉務窯から出た2体だけである。これらは、申し分なく美しいものであるが、小ぶりで個性に乏しいとの欠点がある。

白玉山全景。

ここで1912年に、遼三彩羅漢像が発見された。羊飼いが大峪溝の谷間を抜け、さらに狭い小径を山上まで案内してくれた。山の形から「龍門」と呼ばれている

私はこの窯跡を調査したことがあり、そこで遼三彩特有の緑、白、琥珀色の釉のある瓷の破片をいくつか収集した。易県の羅漢像は、先ずここで造られ、その後易県の寺院に移されたという説には異論もあるが、易県の洞窟内の破片と龍泉務窯跡のものに明白な共通点があることも事実である。もう1つの学説は、山西省の名窯で焼かれたというものである。易県に窯があったという可能性はないのだろうか。なにはともあれ、この羅漢像が遼王朝のもっとも傑出した宝物の1つであることに異論をはさむ余地はない。

清朝崩壊後の混乱の中で、中国の美術品は世界中の収集家によって買い取られていった。当時、北京に在住していた日本人寺澤虎之助が易県羅漢像の発見者とされている。また、ペルジンスキーというドイツ人は、自ら易県へ赴き、実際に地方の住民たちが山の洞窟から羅漢像を運び出し、買い手を探している現場を目にしたことを書き残している。

前述した2つの博物館の他にも、易県の羅漢像は世界各地に散らばっており、横浜市の倉庫にも、1体眠っている。それぞれの羅漢がどんな経緯を辿って現在地に落ち着いたかの詳細な来歴を語るには、さらなる調査が必要であろう。

私は羅漢像の原籍地に強い関心を抱き、2004年9月に易県城北方の楼亭村を過ぎ、大峪溝の石がゴロゴロした道を通って、2時間ほど、狭い山羊の通る小径を歩き、山を越え白玉山の絶壁をよじ登ってようやく子洞へ辿り着いた。この洞窟こそ、かつて一群の羅漢像が安置されていた所である。一見した時、私にはこの荒れた洞窟があの見事な羅漢像の故居だったとは信じられなかった。

睒子洞は、白玉山の頂上に近いところに位置している。付近には、いくつかの洞窟があり、そこにも仏像が安置されていたと伝えられる 睒子洞の内部。少なくとも明代にはすでに遼三彩羅漢像が置かれていたと推測される

洞窟の内部は想像していたよりも遥かに大きく、両側に小さな岩棚や壁龕があり、中央の一段高いところには、仏像が置かれていたとみられる壇が設けられている。地面には、三彩陶器の破片が散乱しており、以前、羅漢像がここにあったことを示唆している。洞窟の入口付近に石碑が2つ倒れており、その碑文から明代に洞窟の修復がなされたことが読み取れる。おそらく、この時羅漢像にも何らかの修復が施されたのであろう。

いったい、なぜこのような貴重な素晴らしい芸術作品が易県山中の洞窟にあったのであろうか。確かに、易県は唐時代から仏教の中心地として栄え、遼代にも多数の寺院が存在していた。当時、山裾の寺院は通常、「上院」「下院」に分かれており、この地の「下院」は龍門寺(遼代の峨嵋寺)にあったと推測される。山上の洞窟の状態を見て、私は次のような仮説を考えてみた。

羅漢像は元来、県城に近い、龍門寺のような寺院の本堂に置かれていた、それが大規模な寺の修復の際に洞窟の「上院」に移されたのではないか。

ともあれ、私にとっては未だ解くことの出来ない謎そのものが一層興味をかきたててくれるのである。私は、苦労してようやく辿り着いた洞窟の入口に座って、易県の原野を眺めながら、世界各地の住居に安住している威風辺りを払う羅漢像に思いを巡らせた至福の一時を忘れることはないであろう。

 

人民中国インターネット版 2009年11月

 

 

 

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