愛知は働く立場で、上海は来場者として!  
 

文・岡田紘幸 写真・和田英士&岡田紘幸

2009年3月、「日本と中国、若者の未来の架け橋へ」をテーマに、日中国際親善協会中部支部という団体を立ち上げました。本部は東京に置き、中部の愛称は「チャイナル!日本」にしました。2010年の上海万博を迎えるため、「チャイナル!日本」は、今年、「上海万博にエールを!」を合言葉に、交流会や勉強会などいろんな企画を行っています。

 10月31日、愛知県長久手町の愛・地球博記念公園にて野外イベント「国際交流~ハロウィンイベント~」を開催した。活動スタッフであり、愛知万博において企業館のアテンダント(案内係)を勤めた市岡麻希さんに、当時の愛知万博の勤務裏話や上海への期待などを聞きました。

万博を愛する市民パワーの集ったイベントに

岡田:当時のアテンダントさんの話を聞けるのは、初めてなので楽しみです。先日はお疲れさまでした。

市岡:「国際交流~ハロウィンパーティ~」は素晴らしいイベントでしたね。当時、愛知万博閉幕後は跡地をどうするか、いろんな意見や構想がある中、万博を愛する多くの市民の声が集まって今の「モリコロパーク」になりました。その活性化イベントに今回、私は声をかけて頂いて“当時のアテンダント”として少しでも力になれたことが嬉しいです。

岡田:では、アテンダント時代の話を聞かせてください。

市岡:全部が思い出ですね、最終日まで全うしました。44人のアテンダント、年齢は20代後半から30代前半の人たち。JR東海さんや広告代理店のスタッフも含めたら、200人余りのパビリオンスタッフで、会期中の185日とその準備期間を動かしていましたね。

まず2004年7月に行われたスタッフ採用試験、合格してからは2005年3月の開幕まで研修を繰り返し行い、会期中のアテンダントは「企業館の顔」として勤務。時には館内イベントとして人前結婚式などを、オフの日にはジンギスカンパーティ、さらに万博協会主催のフットサル大会などもあり、毎日が文化祭のようでしたね。

業務はマイクを持って、15分間模型の超電導リニモの説明など行いました。いろんなトラブルもありましたが、人と人との出会いを楽しみましたね。お客さん目線になって、スタッフ間のチームワークを大切にしながら、与えられている役割を果たすこと。信頼関係など、いつも緊張感のある中で、得ることは多かったですよ。来場者数は600万人以上を達成。万博はやっぱり、お客さんと一緒に作り上げるものですね。

市岡麻希さん 愛知万博アテンダント時代の市岡さん(本人写真提供)

岡田:来年は愛知から5年後の上海万博、何か予定はありますか?

市岡:もうあと半年を切りましたね。私は今回、日本館アテンダント試験に挑戦しましたが、残念ながら…でも試験前のオリエンテーションで見た日本館のビデオと、万博の概要をとても細かく説明してもらえたおかげで、さらに興味がわきました。私は中国語を話せないこともあって、残念な結果ではありましたが、アテンダントのご縁はなくとも、愛知では働いた目線で、上海は1人の来場者の視点で、あの盛り上がりをもう1回味わいたいです。

今後、上海万博ほどの大規模の万博はないだろう、とも言われているだけに期待も大きいですね。今度は日本が外国館になるので、日本ならではの美や文化、今の技術などを世界に知ってもらえるきっかけにもなるでしょう。上海行きたいっ!

岡田:愛知万博の懐かしい、また貴重で楽しい話をありがとうございました。

岡田感想

 当時の「JR東海 超電導リニア館」記念アルバムを見せてもらった。スタッフ採用試験から解団式までの写真とコメント、会期中の1日の流れ、奮闘しているスタッフの写真やちょっとした裏話まで、細かく掲載されており、思わず釘づけに。学校の卒業アルバムのようで、イキイキした写真を見ていると、何だかちょっとうらやましくなった。上海万博では、働くスタッフや来場者にとって、どんな思い出やアルバムができるのか楽しみだ。

市岡麻希略歴

 音楽関係の専門学校を卒業後、地元の県議会議員の秘書に。2005年の愛知万博では「JR東海 超電導リニア館」のアテンダントを勤め、その後は受付業など行う。本人曰く「マイクを握るのが好きなんです」。愛・地球博ボランティアセンターの正会員。

 

人民中国インターネット版 2009年11月18日

 

 
 
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