上海でも人の交流を、ピンバッジ交換の場を  
 

文・写真 岡田紘幸

2009年3月、「日本と中国、若者の未来の架け橋へ」をテーマに、日中国際親善協会中部支部という団体を立ち上げました。本部は東京に置き、中部の愛称は「チャイナル!日本」にしました。2010年の上海万博を迎えるため、「チャイナル!日本」は、今年、「上海万博にエールを!」を合言葉に、交流会や勉強会などいろんな企画を行っています。

今回は愛知万博の愛好家から話を聞き、愛知県長久手町の長久手文化の家で開催された「愛知万博ピンバッジ交換会」へ伺い、主催者の永田さん、西尾さん、デザイナーの川島さん[順不同]に話を聞きました。

ピンバッジ交換会の様子、展示室で

岡田:愛知万博当時のピンバッジ交換から今へ至る、いきさつを教えてください。

永田:会期中は、みんな個別でピンバッジ等の交換はしていたようですが、特に集まる文化はありませんでした。愛知万博の終盤、9月に入ってからでしたね。個人的に行動していた人たちがクチコミで北ゲートに集まって、交換会が3回行われました。

それが好評で、万博閉幕後も続けたいと主婦4~5人を中心に、2005年10月に第1回をここ、長久手文化の家で開催したところ、400人集まっちゃって。数十人規模を想定していたので、興味を持っていた人が多かったことに、こちらが驚きました。

以降、だいたい毎月か2カ月に1回ペースで開催し、今までに長久手町、豊田市、瀬戸市、日進市、と行い今回が39回目ですね。12月で40回目を迎えます。年に10回ペースでは行っています、もうやめられません(笑)。

岡田:今回の交換会、手ごたえはいかがでしたか?

西尾:今回は200人弱の来場者数で、今年の中では多かったですね。ブース出展の条件を説明しますと、1ブース500円の出展料を払ってもらえれば、基本的には誰でも申込可能。ピンバッジに限らず、万博関連は全般「モリコログッズ」「リニモ」「思い出DVD」など、ほか何でも構いません。出展品は年々変化していますよ。

愛知万博キャラクターのグッズ

来場者の質問に答える出展者

岡田:主催しているのは愛知万博の主催関係者なんですか?

西尾:いえ、みんな有志です。現在はスタッフ13人。当時の一般来場者もいれば、私は会場内「ワンダーサーカス電力館」のショップ店員でした。今の仕事もさまざまです。個々で集めていた人が、愛知万博期間で終わらず、盛り上がっちゃった感じですね。万博以降の普段の生活で、万博の話をする機会はなかなかありませんから貴重な場なんです。ただ万博閉幕後は、当時に比べるとグッズが減ってしまって。当時は1500種類あったピンバッジも、生産しなくなっていくので、「これは何とかせねば」と私の現在勤める会社でキャラクターのライセンス許可を取り、デザイナーに頼んで新規グッズを登場させています。完全に趣味の世界ですけどね。

川島:デザイナーの私は、ピンバッジの新規製作を行っています。また趣味としてはピンバッジ収集も行い、額に飾っていますよ。万博会期中に交換会で知り合った外国人とは、今でもメールでやり取りし、ピンバッジを送り合うこともありますね。万博終わって4年経った今でも、これだけ集まるのは有り難いことです。いまだに続いているのは誇れるところ、輪が広がっていくのが楽しいですね。異世代や異文化の交流ツールとしても、ピンバッチは活用できるんですよ。

川島さんのピンバッジ額縁コレクション

岡田:来年は上海万博です、思いを聞かせてください。

永田:ピンバッジを通じた人の交流を、上海でもできたらいいですね。愛知万博の市民参加型を上海に活かしてもらい、ピンバッジ交換会を。まずは上海万博、実際に行ってみたいです。絶対ブームになるから、上海でも交換会やりましょうよ!

岡田:上海万博のピンバッジにも注目ですね。ありがとうございました。

岡田感想

 取材以前は“交換会”と聞くと、どうしても「一部のマニアの集まりではないか」と懸念していたが、心配は無用だった。「あの頃の感動を忘れられない」人たちというのは、時が過ぎて4年経つ今は特殊な存在なのかもしれないが、純粋に当時の交流を楽しみ続ける大人たちの姿を見た。機会あれば、ぜひ行ってブース出展者に話しかけてみてほしい。次回は12月20日を予定。詳しくはhttp://pins.cocolog-nifty.com/

 

人民中国インターネット版 2009年12月2日

 

 

 
 
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