私の中に生まれた夢

馬源営 首都師範大学

 大学で日本語を勉強し始めて、既に一年が経った。この一年の間、多くの日本人との交流を通して、「日本人の民族性」について私なりの様々な発見をし、日本人及び日本文化についての理解を少し深めることができたと思っている。「大学入学願書」の提出時、少し迷ったけれども、今は、「日本語学科」と記入して、本当に良かったと思っている。

大学入学直後、私はある日本人留学生と知り合いになった。彼女は毎日熱心に中国語を勉強している、情熱に溢れた明るい学生だった。

以前、私は彼女と一緒に会話授業のアニメ聞き取りの宿題をしたことがあった。そのアニメは、声優の話すスピードがとても速く、何度聞いてもうまく聞き取れなかった。そのまま2時間が経ち、自分の宿題であるにも関わらず、私は面倒くさくなって飽きてきた。しかし彼女は何も言わず、ずっと真面目に聞き続けていた。そしてさらに1時間が経ち、夕方になった。彼女は腕時計をちらりと見て、「もうすぐ終わるわ。私はここで聞き取りの宿題をし続ける。馬さんは先に晩ご飯を済ませて!」と私に言った。彼女の言葉に私はびっくりした。「いや、あなたと一緒に食べるわ。一緒に行きましょう。」「ううん。馬さんが食べ終わるまでには、ちゃんと終わるから、大丈夫。先に食べて。今、食堂に行かないと、ご飯がなくなるわ。」彼女は、自分のことより私のことを優先させ、面倒な私の宿題を完成させようと一生懸命になってくれていたのだ。今でもこの出来事を思い出す度に、私は胸が一杯になり、あたたかい気持ちになる。彼女のこの行為から、日本人がいつも相手を気遣って、相手の気持ちを第一に考えること、もし自分がつらい思いをしても、他人には微笑みやサポートを与えることが分かった。

親しくなった私達は、よく一緒に出かけて遊ぶようになった。北京の有名な観光地をすべて案内し、北京ダックや水餃子など、中国らしい食べ物もたくさん食べた。彼女と一緒にいる時、言動の端々から、彼女の道徳心や環境保護意識の高さが感じられた。日本人ならではの考え方だと思った私は、非常に感心させられた。

1年後、留学期間を終えた彼女がいよいよ帰国する日が来た。私達は一緒に記念写真を取った。「帰国後もメールを送って、連絡しようね。」「うん、必ず。一緒に過ごした時間は本当に楽しかったよ。」「うん、私も。留学して、馬さんと話して、本当の中国が理解できたと思えるわ。」最後の日だからこそ、お互いに心から素直な気持ちになって、色々なことをたくさん話した。その時、一衣帯水の隣人―中国と日本の境界線がなくなった気がした。彼女のおかげで、私は日本語が上達しただけでなく、これまで知らなかった日本人の性質―親切さ、丁寧さ、真面目さを知ることができた。

私は今でも、彼女と連絡を取り合い、彼女と北京で過ごした時間を思い出している。彼女の笑顔と親切さは、いつも私の脳裏に浮かんでくる。

実は、日本との戦争資料館がある山東省出身の私は、小さい頃からずっと日本人に対して良い感情を持っていなかった。しかし、実際に日本人と交流し、日本人と親しくなり、日本人の美徳や習慣などを知っていくうちに、日本人に対する悪いイメージは消えていった。過去の過ちをしつこく追い詰めるより、これからの平和への祈願や、美しい未来への展望を大切にすべきではないかと思い直したのだ。

今年は「中国と日本の文化交流協定」に署名してちょうど30年である。これまでの30年間、中国と日本の文化交流及び、両国の若者達の相互理解と友好関係を強化するために、中国と日本は様々な活動を行なって頑張ってきた。そして今年2009年、麻生太郎首相と会談した温家宝首相は、「中国は日本と共に努力し、両国民の間の相互理解を深め、青少年の交流や非政府友好交流を拡大していく方針である」と語った。この出来事は、私の心を動かした。中日両国の間には、戦争や政治的問題によって引き起こされた誤解などがまだたくさんある。しかし、大雨の後、雨曇がすっかり消え失せ、空が晴れわたるように、将来、中日の誤解が気持ちよく解ける日が来ればいい、と思った。そのためには、一層努力して日本語の勉強と日本人との交流を深める必要があり、それによって培った力を基にして、中日友好の架け橋になりたい、と私は願っている。

大学卒業後、私は日本語教師の職に就きたいと思っている。単に、発音や文法などの語学を教えるだけではなく、次世代の人々に対して「中日友好」の大切さを、自分の日本人と交流した経験を踏まえてしっかりと伝えていきたいのである。そして学生達に、日本人に対する私のイメージを変えるきっかけとなった彼女とのエピソードを話し、彼女と一緒に取った写真で、彼女の素敵な笑顔を見せてあげたい、と思っている。これは私の夢であり、必ず実現させるべき目標でもあると考えている。

創作におけるインスピレーション

「私の中に生まれた夢」という作文を書いたインスピレーションは、私自身のいろいろな体験です。

実は、「大学入学願書」の提出時、「日本語学科」と記入することに、少し迷いがありました。それは、過去の戦争のために、小さい頃からずっと日本人に対して悪い先入観があって、良い感情を持っていなかったからです。私は日本人についてあまり理解できませんでした。しかし、大学入学後、多くの日本人留学生と友達になったことをきっかけに、日本人の美徳や習慣などを知ることができました。その体験から、私の作文は生まれました。

今年2009年は、ちょうど「中日文化交流協定」調印三十周年です。それを記念する意味もあり、日本人の留学生の友達との交流をテーマにし、両国の青年間における相互理解と友好について書きました。遠くない未来に、両国の若者達が相互に理解し合い、強い友好関係を確立することを、私は心から願っています。

受賞の感想

人民中国雑誌社・日本科学協会・中国青年報などが共同主催された「2009年笹川杯・日本を感じる」懸賞作文コンテストに応募させていただいたことは、大変貴重な機会だったと思っています。本当にありがとうございました。

今回のコンテストでは「私の中に生まれた夢」という作文を書きました。私は現在大学で日本語を勉強していますが、大学で日本人留学生と交流していたことをテーマにした作文です。日本人と親しく交流したのは、大学に入学してからでした。彼女との関係は、大変身近な日常生活の1コマ、1コマでしたが、これらを積み重ねていくことによって、日本人の心に一部に触れられたと思っています。彼女との出会いが、今の私を作っていると言えるように思います。

幸いなことに、今回優秀賞を頂戴することができました。この受賞を励みにして、これからも一層努力を続け、日本語の勉強も、日本人との心の交流も更に深めていきたいと思っています。

 

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