現在位置: 長江文明を訪ねて
良渚(下)五千年前の国都

 

丘桓興=文 劉世昭=写真

この20年の間に、良渚で五千年前の宮殿遺跡、大型祭壇、貴族の墓地、古い城壁遺跡がつぎつぎと発掘された。この「中華第一城」はおそらく古代長江下流地域の国都で、中華文明の曙光が輝いたのはここからではないかと、考古学者の誰もが驚いた。

 

莫角山の宮殿遺跡

浙江省文物考古研究所副所長で、良渚考古ワークステーションの責任者である劉斌さんは、良渚の玉文化を紹介した後、事務所を出て向こうのビルを指して言った。「私たちが立っているところが莫角山。五千年前の古城遺跡で、あのビルより2、3階ぐらい高い」

莫角山は周りの村や農地より8~10メートル高くなった高台である。余杭県民政局はそれを果樹園に改造し、百戸以上の農民が果樹園に住んで働く。ほかにも、印刷工場などの小企業がある。

1987年、印刷工場が工場拡張を申請した折、良渚文物管理委員会は法に基づき13ヵ所で試掘した。厚さ10メートルの堆積層から大量の赤い焼き土、灰燼と他所から運びこまれた黄色や青鼠色の土を発見した。これは良渚時期(今から5200~4300年前)に属する人工土台だと証明した。

1992年、杭州から南京へ到る104国道を改造する時、莫角山を経過する。考古学者たちは再び大規模な発掘を行い、ここが東西約750メートル、南北約450メートル、総面積約29万平方メートルの大高台で、良渚時期の古城遺跡だと改めて証明した。3万平方メートルの土砂を打ち固めた大型の建築敷地も発見した。打ち固めた層は約50センチ、9~13層の砂と粘り気のある泥を、一層一層丸木で打ち固めている。驚くことに考古学者たちは3列の直径90センチの大型柱坑を発見した。ある柱坑には腐った木柱の痕跡があり、穴底には硬い台がある。近くで長さ6メートルの木材が発見された。その中には、ほぞがついているのもある。

この発掘はまだほんの片鱗に過ぎないが、専門家たちは興奮が収まらないようだ。この発掘に参加した劉斌さんは、良渚人がここで宮殿を建てたことがあると考える。有名な考古学者、北京大学の厳文明教授は「ここは壮大な宮殿だったかもしれない」と言う。

莫角山古城遺跡は、1992年の10大考古発見の一つに選ばれた。

 

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