遼・金王朝 千年の時をこえて 第14回

 

宋王朝が中国の南部で栄えていた頃、中国北方はモンゴル系の契丹人によって建てられた遼(907〜1125年)と東北部から興ったツングース系女真族の金(1115〜1234年)の支配するところとなっていた。これら両王朝の時代に、北京は初めて国都となったのである。

朝陽北塔の秘宝

北塔の南面。

壁面の左側の塔は、釈尊が菩提樹の下で悟りを開いた場面を示している

遼寧省西部に位置する朝陽市には、遼王朝文化の高い水準を代表する素晴らしい仏塔が数多くある。遼の時代、この地は、中京道の県庁所在地の一つで、興中府と呼ばれており、さらに歴史を遡ると342年から燕国の都だったこともある。もっとも重要な寺院である延昌寺は非常に古い歴史を有していて、5世紀に一人の僧がインドから経典をこの寺に持ち帰ったという言い伝えが残っている。これは、玄奘三蔵の求法の旅よりさらに200年ほども前のことである。この寺の北塔は、北魏、隋、唐時代を通じて、数回修復され、1044年、仏教に深く帰依した遼の興宗の手によって大改造され、今日の姿になったものである。

私は2004年に朝陽を訪れ、市内の北塔と南塔そして、鳳凰山中にある2つの塔を見物したことがある。しかし、この北塔が、極めて重要な仏教の中心的役割を持っていたことが、はっきり分かったのは、2009年にここを再訪した時のことであった。照りつける真夏の太陽の下、私は再び42.6メートルの高さを誇る北塔の前に立っていた。嬉しいことに今では、塔の基台の内部に入ることが許可され、猛暑から逃れることができた。中に入ってみると、遼時代の職人たちが修復にあたり、従来の建物を実に巧みに生かして、仕事をしたことがわかる。幾代かにわたる王朝時代の磚が使われている。説明によると、遼王室は単に見た目に美しい塔を作ったというだけでなく、その内部に秘密の宝物庫を設けていた。さらに、この時初めて知ったのは、1984年と1992年の調査の際、塔の12層部分の密室(天宮)と基礎部分の地下の密室(地下宮)から貴重な宝物群が発見されたということである。

銀製の棺に彫刻された仏陀涅槃図 「天宮」内部で発見された4本の銀製菩提樹(高さ22センチ)の1つ 「金銀経塔」。中には幾層もの円筒と銀製の巻物に刻まれた経文が入っている

これらのおびただしい数の宝物は、2006年以降、新たに建造された博物館で一般公開されている。博物館の内部は正に驚きの連続であった。極上の珍しい金銀細工と細かい宝石を散りばめた飾りのついた仏具の美しさは、見る人を圧倒する力を持っている。このように手の込んだ細工は、遼墓から出土した金・銀の冠や仮面、そして、金銀糸でできた衣裳などに見られるものであるが、遼代の仏具として、これほど見事なものは私にとって初めてであった。

真珠と宝石で飾られた「仏七宝塔の蓋」

特に私の目を魅きつけたものが2つあった。1つは七宝塔の蓋、それは高価な宝石におおわれ、真珠と水晶で飾られていた。もう一つは、経文を入れる「金銀経塔」で、中心の円筒の表面に美しい仏像が彫刻された小さな塔の型をしている。円筒の中には、さらに3つの金と銀の筒があり、中心部には、経文を刻んだ銀製の7つの巻物が入っている。

この稀有な宝物には、宗教上の目的がある。発掘物の中に、2つの特に貴重な仏舎利があり、釈尊の白い骨片と真紅の血粒が保存されている。この2つの釈迦の遺品は、涅槃図の刻まれた銀製の棺の中にある金の塔に納められた瑪瑙の容器に入っており、北塔の「天宮」から発見された。北塔の宝物群は、このように最高の技術と材料で作られ、その崇高な目的に適ったものと言える。真紅の血粒の方は、博物館内に設置された記念堂で見ることができたが、白い骨片はいまだに、塔の中に保管されている。

仏舎利は古来、仏教伝播の中核をなすものであり、契丹の支配者たちにとっても、釈尊に対する崇拝の念を表す重要な意味を有していた。近くにある南塔も遼代に建てられたもので、釈迦の師とされる燃灯仏の体の一部を祭っている。この塔よりも約30年後にできた現在の北京の遼塔には、非常に貴重な「仏牙」が今なお残っている。

13層のひさしを持つ四面体の北塔を仔細に観察すると、さまざまな角度からみて、この塔が仏舎利信仰を体現していることが理解される。

第一に、この塔は元来、寺の境内の中央にあり、もっとも重要な建物であった。そして、塔の4つの壁面のすべてに、2つずつ塔があり、釈迦の生涯の8つの代表的な場面が描かれている。例えば、塔の北面には、沙羅双樹の森での釈迦の入寂を示す塔がある。さらに、地下宮には遼の石経幢があり、その表面には最初に仏舎利を分けて、それを祭るための塔を建てたインドの8人の王の姿が刻まれている。石経幢碑文には「大契丹国重熙十三年四月八日奉納」との記載がある。

朝陽再訪によって、私はこの都市が契丹の歴史において持つ重要性を改めて認識することができた。北塔に秘められていた宝物群は、間違いなく朝陽が極めて重要な仏教聖地であったことを証明するものと言える。そしてこの塔は、遼代文化を代表する繊細な金銀細工の傑作を今の世に伝えてくれたのである。

 

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