遼・金王朝 千年の時をこえて 第16回

 宋王朝が中国の南部で栄えていた頃、中国北方はモンゴル系の契丹人によって建てられた遼(907〜1125年)と東北部から興ったツングース系女真族の金(1115〜1234年)の支配するところとなっていた。これら両王朝の時代に、北京は初めて国都となったのである。

 

遼王室の守護神──医巫閭山

遼寧省にある聖なる山―医巫閭山は隋の時代すでに五大鎮山の一つに数えられており、北鎮山として知られていた。その後歴代の王朝の皇帝たちが、山の東南にある北鎮廟に祭られている山神詣でに来たと伝えられている。この一帯は軍事的要衝であり、契丹族にとっては王室の菩提寺、奉国寺の所在地でもあったため、当然、遼の皇帝たちもここを訪れたことであろう。義県にあるこの寺院は医巫閭山の西に位置し、乾陵と顕陵は山の東の北鎮市にある。この山は「風水」の良好さもあり、奉国寺と陵墓の重要な守護神となっている。

義県の平原。後方は大霊河と聖なる医巫閭山系

義県は承天太后(蕭燕燕)の出身地である。彼女の夫、景宗はこの地に強力な軍事基地を築きあげた。しかし義県の郊外、大霊河のほとりに1020年、奉国寺を建立したのは景宗の子、聖宗である。契丹の皇帝たちは、国家安寧を願って仏教を厚く保護し、権力強化のため仏教の影響力を利用してきた。聖宗が奉国寺を建立したのには単に実母を祭るためだけでなく、一種の皇帝崇拝をつくりあげる目的があったのではないかと思われる。大雄宝殿は基壇の高さ3メートル、正面の間口が48メートルもあり、宮殿のような広壮な建築である。堂内には高さ9メートルの目を見張るような素晴らしい過去七仏が安置されている。言い伝えによれば、釈迦像は聖宗がその生まれ変わりであることを示しており、その他の六体は契丹の歴代皇帝と祖先の像とされている。従って、ここは聖宗が契丹の伝統、この場合は仏教によって「転生」した場所ともいえる。事実、過去七仏は古い経文の中にも言及があり、七つという数には宗教的根拠がある。興味深いことに七体のうち釈迦像だけが、その眼を西方の故国ネパールに向けている。私には、聖宗が西に広がる遼の領土を誇らしげに眺めているようにも見えた。

義県の奉国寺は遼代の最大の堂宇の1つ。造営主聖宗のための宮殿のように最高級の建築様式を備えている

奉国寺本堂内の過去七仏の景観。すべての仏像の傍らに2体の菩薩像があり、堂の両端には、巨大な仁王像が立っている

私は奉国寺を二度訪れたが、その都度日本の学者竹島卓一氏の研究を参考にさせていただいている。氏の撮影した写真と図画は、奉国寺の建築の精巧さと仏教美術の豊かさを理解する上で、極めて貴重なものである。竹島氏はこれらの仏像は世界最古の塑像群であると考察しており、天井を見上げれば、梁に描かれた遼代の飛天は今もそこに鮮やかに現存している。入口のすぐ傍らには、一千年の命を生き続けた石の獅子像がある。  医巫閭山系を抜けて、省道307号を東へと走ると北鎮に至る。この地は過去において東丹王・耶律倍の支配するところであった。彼は父である耶律阿保機が征服した渤海国の地を与えられたが、後継者には成り得ず、洛陽へ逃れて、937年に死去した後、再びここへ戻り、医巫閭山の側に埋葬された。倍の子、遼の三代皇帝の世宗は在位わずか4年であったが、この領地を引き継いだ。その世宗も顕陵に葬られ、その子景宗と皇后蕭燕燕も北鎮郊外の乾陵に眠っている。さらには最後の皇帝・天祚も、おそらくこの地に埋葬されていると思われる。

北鎮の北方、医巫閭山系の低い峰々と狭い谷間に龍崗遼墓の一群が密集して存在する。1980年、三つの墓陵を発掘した結果、これらは景宗の次男耶律隆慶の三人の子の墓であることが判明した。私は宋家園村にある、果樹園の中に隠された耶律宗政と泰晋国妃の墓に入ることができた。監視人の王さんが、小さな門のとびらを開けてくれ、私たちは墓の入り口まで18メートルの緩やかな坂道を、胸をときめかせながら下りていった。円型の室内は湿っていて、観るべきものはほとんど残っていなかったが、それでも遼の建築特有のうず状レンガのドーム天井は甚だ興味深いものであった。王さんの説明によると、泰晋国妃は耶律隆慶の貴妃であったが、何故か死後、その息子の宗政とともに葬られたという。当時の錯綜した人間関係が垣間見えるような逸話である。  北鎮廟を再度訪れた際、私は廟の後堂に保管されている墓誌銘を刻んだいくつかの墓石を注意してみたところ、耶律宗政の碑文があった。墓石のすべてには、漢字で書かれているが、一つだけ裏面に標音の契丹小文字が書かれているものがあった。それはあたかも表面では、漢の文化に習うが、心の中は契丹だと主張しているようであった。

1987年に発掘された、耶律宗政と泰晋国妃の陵へ続く入口。門とびらは「倣木磚制」の建築様式

 修理中の北鎮双塔。近くにある2組の王室陵墓を守っているとの言い伝えがある

北鎮の古い市街に有名な北鎮双塔がある。遼の末期に建造されたもので、当地では、近くの顕陵と乾陵を守っていると信じられている。当初の目的が何であれ、私は夕陽を浴びて威風辺りを払う双塔の姿に魅入られる思いであった。

この地方を訪れると、義県と北鎮の遺跡の中に遼時代の契丹の物語が数多く埋もれていることが判る。聖なる山岳信仰は寺院や陵墓とともに遼の傑出した指導者たちに対する崇拝の念を今なお引き続き保ち続けている。

 

 

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