七宝古鎮の名物料理を味わう  
 

「上海の都市としての歴史的変遷を見たいのなら、十年では浦東、百年なら外灘、千年となると七宝がある」とよく言われる。「上海には歴史がない」という表現は正鵠を射ているわけではない。上海はその豊かな歴史的、文化的「財産」をすべて周辺に散らばる古い鎮に預けているに過ぎないのだ。普段、私たちが目にするのは、どれも上海の目新しい外見でしかない。南翔、楓涇、召楼、新場、七宝……といった有名無名の小さな鎮には、いずれも千年近くの悠久の歴史がある。中でも、とりわけ有名なのは七宝鎮だ。

七宝鎮は上海市閔行区にあり、市街地から一番近い古鎮である。この鎮には当初名前がなかったのだが、宋(960~1279年)の大中祥符元年(1008年)、当地にある七宝寺が皇帝から「七宝教寺」の名を賜ったことから、七宝鎮と呼ばれるようになった。

七宝古鎮 七宝古鎮にある老街湯圓店

七宝鎮には市の中心にある人民広場からバスで出発して、わずか40分で到着する。虹橋空港へはバスで十数分という近さだ。七宝鎮へ向かう途中、高層ビルが林立するにぎやかな風景を目の当たりにすると、「こんな都会に静かな古鎮など本当に存在するのだろうか」と疑問を抱かずにはいられなくなる。  バス停に到着し、ありふれた都市の住宅街を通り抜けると、突然七宝鎮が目の前に現れる。古鎮に足を踏み入れると、小さな橋、流れる川、風になびく楊柳、古い民家、細長く続く石畳など、昔ながらの街並みが残されている。曲がりくねった路地を数歩歩くと、古い民家の軒先が視線を遮り、外界の高層ビルは目に入ってこない。まるで近代的大都市・上海など存在しないかのようだ。上海の古鎮はいずれもこの七宝鎮のように、近代的生活と隣り合わせに存在し、コンクリートジャングルの中のオアシスのように、希少な存在であるため、人々から深く愛され、悠然自適の歳月を過ごしてきた。

筍糸青豆(タケノコとアオマメの干物) 糯米藕(レンコンのもち米づめ)

上海人が七宝鎮を愛するのは、多くはその名物料理の魅力によるものだろう。七宝鎮は、一筋の運河を境い目に南北の街に分けられ、その南大街には様々な名物料理店があちらこちらに点在する。臭豆腐干(干し臭豆腐)、老鴨粉糸(アヒルのスープはるさめ)、老街湯圓(餡入りのもち米団子)、叫化鶏(日本では「乞食鶏」ともいわれる。鶏をハスの葉と泥で包んで、蒸し焼きにしたもの)、醤蹄膀(豚モモ肉の醤油煮)などなど、余りの豊富さに唖然としてしまうほどだ。もちろん、こうした名物料理は上海の市街地でも口にできるが、一カ所にこれほどの店舗が集中していて、値段の安いところは七宝鎮以外にない。しかも、同じものを食べるにしても、古鎮で食べ歩きしたり、二個一元の湯圓を食べながら、古色蒼然とした優雅な古街湯圓店内で小休止したりするのとしないのとでは、その感覚はまるで違う。  豊富な七宝の名物料理の中でも、方糕はもっとも特色豊かなものの一つだろう。多くの上海人がわざわざ車を運転して七宝鎮にやって来るのは、この方糕を買うためだ。方糕は小豆餡やモクセイの花をもち米で包んだもので、甘くて、モチモチしているのに、歯にベト着かず、値段も安くて、五元でかなりの分量が買える。

豆衣大王(揚げ湯葉巻き)  酱蹄膀(豚モモ肉の醤油煮)

方糕にはこんな物語がある。宋の有名な文学者である范仲淹は、幼いころ家が非常に貧しく、毎年冬になると、お粥を凍らせて、それを切り分け、勉強中に空腹になると、それを一つずつ食べるといった暮らしを送っていた。親友の石海卿はその事を知り、人に命じてもち米の団子を作らせ、彼が科挙の郷試に合格するまで、毎日その団子を届けさせた。その後、このもち米の団子は後世に伝承され、今の七宝方糕となり、立身出世を祈願する縁起の良い名物料理となった。

 それ以外にも、見た目は恐ろしいけれども、とても美味しい名物料理が二つある。その一つが醤蹄膀だ。七宝の醤蹄膀は細切れにして売るのではなく、赤黒く煮込んだ大きな豚のモモ肉を一本一本紐で縛り、店の陳列盆の上に並べて売る。その光景は豪快そのものだが、「こんな大きな豚のモモ肉をどうやって食べるんだ?」と考えてしまう。ところが、醤油タレをかけて、一口口にすれば、その香ばしさと柔らかな歯応えに食欲をそそられ、知らぬ間に骨だけを残し、きれいに食べ尽くしてしまう美味しさなのだ。

七宝老酒(七宝名物の黄酒) 特色果脯(七宝名物ドライフルーツ)

もう一つの「恐ろしい」美味は「叫化鶏」という。この叫化鶏、真っ黒焦げの泥団子のようで見栄えは悪いのだが、外側の泥を剥き取ると、中に包まれている鶏肉はびっくりするほどの美味さなのだ。言伝えによると、叫化鶏は江蘇省常熟が起源だそうで、ある日、数人の乞食が偶然一羽の鶏を手にいれたのだが、あいにく何一つ調理器具がなく、仕方なくさばいた鶏を泥や小枝や草で包んで焼いた。泥が乾き、鶏が焼けて、羽毛が泥と共に自然に剥がれ落ちると、中の鶏肉は柔らかに焼け上がっていて、食べ頃になっていたという。

ところで、今の若者たちの叫化鶏に対する印象は、金庸の武侠小説『射鵰英雄伝』の影響を多分に受けている。小説では、叫化鶏は丐幇の幇主である洪七公の大好物とされており、そのため、若者たちは叫化鶏と聞くと、まず武芸の達人である洪七公を思い浮かべる。

叫化鶏(鶏をハスの葉と泥で包んで蒸し焼きにしたもの)

 一品方糕(小豆馅やモクセイの花をもち米で包んだもの)

美食と言えば、佐餐の名酒を上げないわけにいかない。面白いことに、江蘇・浙江一帯の人々は昔から黄酒(紹興酒に代表される醸造酒)を愛し、上海周辺の青浦、楓泾などの地では黄酒の生産が主だが、七宝の人々だけはアルコール度数の高い焼酎を好み、七宝焼酎は七宝鎮の地酒である。その由来については、多くの解説がある。詳しく知りたい人は現地の居酒屋に出向き、話好きの店員に尋ねてみるといいだろう。

 

人民中国インターネット版 2010年5月7日

 

 
 
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