大阪からエールを送る  
 

王 征=文、写真

大阪府吹田市の万博記念公園にある太陽の塔の両目が暗闇に光っている。3月27日から、1970年の大阪万博以来、40年ぶりに常時点灯したのだ。「閉塞(へいそく)感が漂う昨今、日本の良き時代に開催された万博の元気を感じ取ってもらいたい」「上海万博にもエールを送りたい」と、日本万国博覧会記念機構広報担当の切通圭介さんが話す。

経済成長期の大阪万博を経験し、いま低迷している日本は、隣国中国で開催する上海万博への思いも複雑のようだ。

40年前への憧れ

3000点にものぼる当時の資料や写真、映像を公開する「EXPO'70パビリオン」記念館が、三月に大阪万博の跡地でオープンした。「大阪万博を経験した方を中心に、入場者数は一日に約五、六千人」という。同級生の五人といっしょに記念館を訪ねた高橋寛子(仮名)さんは大阪万博開催のときは十五歳だった。「ここは思い出の場所だ。入場者数が史上最多の日にあい、終電に乗れなかったよ」、「動く歩道、携帯電話などの展示品ははじめて見たものばかりだったが、どんどん生活で現実になっていった。まるで「未来」への祭りだった」と目を光らせる。

大阪万博跡地で、暗闇に両目が光っている太陽の塔

日本万国博覧会記念公園の入り口で施設などを紹介するスタッフ

中学三年生の時、会場に30回以上も通い、大阪万博を満喫した白井達夫さんは、二年前に会社を辞め、大阪市天満橋近くのビジネス街に大阪万博のマニアが集う「EXPO CAFE」をオープンした。店内には大阪万博会場の写真や模型、ペナントなど数千点のコレクションを展示し、当時会場内レストランにあったメニューもアレンジした。土曜日になると、全国各地からファンが集まってくるという。「40年経ってもいまだに万博というと、わくわくする」「新しいものができ、よくなっていくという頃だったので、日本は夢にあふれていた」「いまの日本は低迷している。将来が見えないから、よりそういう時代への憧れがある」

大阪万博の入場者数は約6500万人を記録したが、今度の上海万博の予想入場者数は7000万人にのぼる。「仲間の十数人はすでに開幕に間に合うように上海に行っている。久々派手な万博だから、私も期間中に行きたい」と、40年前の雰囲気を上海で感じ取りたい白井さんは興奮気味に話す。

上海万博に夢を託す

40年前の栄光をよみがえらせようとする人がいる。大阪のたこ焼きの名店『道頓掘くくる』を運営する白ハト食品工業の永尾俊一専務も、大阪万博の米国館にあった月の石を見るため三時間も列を並んだ「万博少年」だった。上海万博の日本産業館に1億5000万円を投じ、期間中にたこ焼きの店舗を出店した。「半年の営業期間と比べ、投入資金はちょっと多いが、中国進出のきっかけになれば」と、上海市内で事務所を抱えた。

「EXPO CAFE」大阪万博のコレクション展示の前に、上海万博マスコット「海宝」を手にする白井達夫さん

「大阪万博のころ、日本に入ってきたハンバーガーはいま一兆円産業となっている。たこ焼きはまだほとんど中国に行っていない。大阪万博で日本人が初めて見たものは、いまあたりまえとなっている。今度上海万博で中国人が初めて経験するものは中国のあたりまえとなるでしょう。そして、中国のあたりまえは、世界のあたりまえとなる」と、たこ焼きビジネスの国際戦略を描く。

今回の上海万博には246の国と国際機構が参加、万博史上最多。日本だけで日本館、日本産業館、大阪館という三つのパビリオンもある。大阪館プロデユーサー橋爪紳也大阪府立大学教授が三つのパビリオンを展開しているのは「日本だけ。中国と深い関係を持ちたいとの現れだ」と指摘。かつて、万博の日本館の運営はほとんど国の予算でまかなってきたが、今回はトヨタ自動車、パナソニックなど22企業・団体が協賛。運営費を含め約130億円という最大の資金の半額を拠出している。巨大な中国市場を狙い、夢を託す日本企業の姿がうかがえる。

「中国が栄えていくきっかけに、日本も共に栄えていくという考え方は大事だ」「日本はいま実力より元気がない、上海万博から元気をもらい、もう一度自分の可能性を見直そうよ」と、永尾俊一さんは力を込めている。

 

人民中国インターネット版 2010年5月19日

 

 
 
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