上海の美しい奥座敷――蘇州  
 

 

留園が誇る「三絶」

□ 冠雲峰

園内の冠雲峰は太湖石の絶品で、「痩、皺、漏、透」という太湖石の「四奇」がみごとにこの冠雲峰に代表されている。太湖石は江南の庭園には欠かせない点景で、中国第四の大きさを誇る淡水湖、太湖やその周辺から切り出される浸食による奇形の石灰岩である。

言い伝えでは、この太湖石は北宋の末年、地方政府が皇帝に献上する貢物だったとのこと。当時、宋の徽宗帝は東京(現在の河南省開封市)内で大土木工事を行い、全国各地に詔を発して、珍しい品々を宮廷に送るよう命じた。皇帝はまた蘇州に「蘇杭応奉局」を設け、専門に名花・奇石を集める責任を負わせたのである。「応奉局」主管者の朱緬は皇帝のご機嫌を取るために八方奔走して名木・奇石を集め、これを都に運ぶためにじゃまな民家を取り壊すことまでした。あまりの横暴に蘇州一帯では農民の蜂起が起こった。北宋王朝は国庫も尽き、民衆は生計の手立てを失い、やがて北方の金に滅ぼされて、徽宗帝は金軍の捕虜になってしまう。冠雲峰は宮廷に送られずじまいになった奇石なのである。

□ 楠木殿

楠木殿は「五峰仙館」の俗称である。「五峰」の二字は唐代の大詩人、李白の詩句「廬山東南の五老峰 晴天削り出す金芙蓉」に由来する。楠木殿は間口五間で中央の間は紗を張った屏風で前後二庁に隔てられている。館の東西の壁には大きな窓が一列にうがたれているがその造形は大胆で装飾も簡潔である。こうした大きな窓を開けることで外の小庭園の景色が借景になり、室内の視覚空間を大きく広げると同時に、部屋のなかを明るくし、館全体を広く、明るく、落ち着いた雰囲気にするという出色の建築技法が用いられている。

五峰仙館の建築に使われた用材は非常に豪華で、梁も柱もすべて楠木である。貴重な木材が用いられたことからも、五峰仙館が留園内で占める地位が別格であることが分かる。この楠木殿も「抗日戦争」時には馬小屋になってしまい、飢えた軍馬が上等な楠木の柱をかじり、せっかくの名建築を台無しにしてしまった。「抗日戦争」に勝利したあと、園の改修にあたっては、柱をセメントで補修するしかなく、補修したあとにペンキを塗って今日見る形に保っているのである。

□ 魚化石

留園の五峰仙館内には大理石の天然画――「魚化石」が保存されている。この大理石は直径一メートルほどで厚さはわずかに152ミリ。雲南省にある点蒼山の産である。大理石表面の中央部分には群山が取り囲む自然の景観がうっすらと浮かび出ている。下部分には流水と瀑布。上部分には流れる雲と一輪の白い円、それは太陽のようでもあり、満月のようでもある。全体は自然が作り出した一幅の山水画になっているのである。このような独特の模様のある大理石がどのようにして発見され、しかも傷つくことなく千里も離れた江南の蘇州にどのようにして運びこまれたのか、今日なお謎とされている。

詩に詠われた江南の古寺

楓橋古鎮の石畳の狭い道に沿って歩き、楓橋のたもとに立つと、緑色の屋根瓦、黄色い壁の寒山寺がマツやコノテガシワの古樹に囲まれてたたずむ姿が望める。「月落ち 烏啼いて 霜天に満つ、江楓 漁火 愁眠に対す。姑蘇 城外 寒山寺、夜半の鐘声 客船に到る」唐代の詩人、張継が旅の途次、船で寒山寺の付近を通りかかった時に詠った『楓橋夜泊』の詩である。この詩が広く伝わったことで寒山寺の名も一躍天下に知られるようになった。

□ 寒山寺の由来

寒山寺は蘇州城の西、閶門外五キロメートルほどの楓橋鎮に位置する1400年の歴史を有する古寺である。もとの名前は「妙利普明塔院」、唐代の貞観年間(627~649年)に寒山寺と改称された。

寒山寺の外観

留園の白壁にうがたれた透かし窓。それぞれがさながら一幅の中国画のようだ

寒山寺の名の由来については民間にさまざまな伝説が流布している。その一つに――唐の貞観年間、寒山と拾得という小さいころからたいへん仲のよい二人の若者がいた。寒山の両親は彼に似合いの娘を見つけて婚約させた。ところがこの娘ははやくから拾得と恋仲だった。このことを知った寒山は思い乱れ、進退これきわまって、昼も夜も思い悩んだ末に、娘には拾得と結婚してもらうことに決め、自分は故郷を離れ蘇州で出家して修行に励むことにしたのだった。

寒山の姿が見えないのを不思議に思った拾得がある日、寒山の家まで訪ねてみると、戸口に自分宛の手紙が挟まれていた。開いてみて、事のいきさつが拾得にはやっと分かり、心苦しい思いでいっぱいになる。彼は娘と別れる決意をかため、蘇州に行って寒山を探し自分も仏門に帰依することにしたのだった。時は夏で、拾得が蘇州に向かう途中の道のかたわらには蓮田のハスの花がいましも満開で、あざやかな赤い花をつけていた。うっとりと見つめていた拾得は手のおもむくままに一本を摘み取り、それを手に蘇州に向かう。

ついに拾得は蘇州城外で懐かしい友人の寒山を探し当てる。手にしたハスは不思議なことに変わらず赤い鮮やかな花のままだった。寒山は拾得がやってくる姿を目にとめると大喜びで、お斎(とき)を盛った竹籠を手に捧げ持ったまま出迎える。二人は会心の笑顔を浮かべて見つめ合ったのだった。

現在も寒山寺には、この情景を刻んだ石碑が残されていて、碑面の上方には「和合二仙」、つまり再会を果たした寒山、拾得のうれしそうな姿が刻まれている。

過去には蘇州一帯では、嫁ぐときに持たせる人物を描いた掛け軸にこの「和合二仙」図がよく用いられた。また江南の多くの地方では、春節(旧正月)を迎えて両開きの門扉に張る「門神」にも、一方には竹籠を下げた寒山を、一方にはハスの花を手にした拾得を描いた人物画が張られたものだった。どちらもあふれんばかりの笑顔で見る者の喜びを誘うが、二人の人物像は、この美しい伝説に基づいているのである。

民間伝説はまた、「和合二仙」といった二人の仙人は世の迷える人々を教え導くために寒山と拾得に姿を変えて人の世に下ったものであり、寺の名前も二人がここで出会って仲良く「和合」しともに住持として住んだことから、「妙利普明塔院」改め「寒山寺」となったとしている。宋代には「普明禅院」と改称されたこともあったが、人々は変わらずに「寒山寺」と呼んでいた。元末から清末にかけて寒山寺は五度も大火に見舞われて灰燼に帰したが、そのつど再建されている。人々の心のなかに占めるこの寺の存在の大きさが知れよう。現在に至るまで寒山寺の本尊は寒山と拾得の「二仙」であり、このことは「二仙」が唱導する「和合」の思想が中国の伝統文化のなかで重要な構成部分を占めていることを証明するものであるとも言える。言い伝えでは、拾得は後に海を越えて日本に渡り、それで日本には「拾得寺」が存在するともされている。

寒山と拾得が交わした問答の名句は仏教界と民間とを問わず広く伝わり、その影響も大きい。

「寒山が拾得に問うには、世には我をそしり、我をあざむき、我をはずかしめ、我を笑い、我を軽んじ、我をいやしめ、我を憎み、我をだます者がいる、いかが懲らしめたらよかろうかと。拾得がこれに答えていわく、ただこれ彼を忍び、彼をゆるし、彼により、彼を避け、彼を敬し、彼とかかわらず、数年を待たれよ、しかる後に彼を見るがよかろう」

こうした問答が広く知られるようになった結果、寒山は知恵を象徴する文殊菩薩の、また拾得は悟りの理法を代表する普賢菩薩の生まれ変わりであるとする人々までいるほどなのである。

□ 寒山寺の鐘

歴史上、寒山寺は中国の十大名刹の一つとされてきた。創建以来の千年以上の間に寒山寺は五度も大火に見舞われ、最後に再建されたのは清の光緒年間(1875~1908年)である。境内には古跡が多く、唐代の石刻碑文、寒山・拾得の石刻像、唐寅の書の碑文残片などが残されている。

寒山寺にまつられる本尊の「和合二仙」

なかでも寒山寺と言えば、想起されるのがその著名な鐘の音である。

蔵経楼の南側には六角形二層の楼閣があり、これが「夜半の鐘声」で有名な寒山寺の鐘楼である。江蘇省南部・浙江省北部の一帯では、寺院が夜半に鐘を鳴らす風習があり、「定夜鐘」と呼ばれた。現在の寒山寺の鐘は張継が詩のなかで詠った唐代の古鐘ではない。また明代の嘉靖年間(1522~1566年)に鋳造された大鐘も行方不明になってしまった。熔かされて大砲になった、日本に持ち去られたなど、さまざまな説が入り乱れているが、日本でもかつてこの鐘の行方を探す大掛かりな取り組みが行われたが、探し出すことができなかったという。鐘の行方は千古の謎になってしまったのである。

現在の鐘は清の光緒32年(1906年)に鋳造されたもので、高さは普通の大人の背丈よりちょっと高いぐらい、外周は大人三人でやっと抱きかかえられるほどの大きさで、重さは2トンにも達する。鐘の音は悠揚として高くまた低く遠くまで響きわたる。

毎年の大晦日に寒山寺の僧侶によって108回、この鐘がつかれる。一説には、一年は12カ月、24節気、72候(一候は五日間)からなり、加算するとちょうど百八になる。それで鐘を108回つくことは一年の終わりを表し、旧い年を送り新しい年を迎える意味がこめられているとする。また一説には、凡人には百八の煩悩があり、鐘を108回つくことで一年間の煩悩はすっかり取り除かれるとする。いずれにしても、毎年の大晦日の夜には国内外から寒山寺への参詣者が大勢集まり、鐘楼から響き渡る108の鐘の音に耳を傾け、来る年の平安を祈るのである。

留園、寒山寺のほかにも2500年の歴史を誇る文化古城の蘇州には、虎丘、獅子林、拙政園など多くの一度訪れたら決して忘れることのできない名所旧跡が多い。上海万博を参観にいらっしゃった皆さんが、ぜひ中国の歴史名城、蘇州にも足を運ばれ、その文化的魅力と「この世の天国」の美しい風光を堪能されるよう願ってやまない。

 

人民中国インターネット版 2010年7月1日

 

      1   2  

 
 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850