曹禺生誕百年に寄せて  
 

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館東洋演劇助手 鈴木直子=文・資料提供

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

上海万博で盛り上がる2010年は、中国の劇作家曹禺が誕生してから百年目にあたります。中国の近現代演劇にとって、曹禺の存在は現在でもなお大きく、文学性に富んだその作品は話劇の原点として舞台上から消えることはありません。

今年は曹禺生誕百年を記念して、中国ではシンポジウムや作品上演など様々なイベントが行われます。日本でも早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(以下演博)で、北京人民芸術劇院戯劇博物館との共催により、『生誕百年記念曹禺展』が開催されます。

北京人民芸術劇院博物館を訪れる作者

曹禺展のチラシ

劇作家・曹禺

曹禺(1910年9月24日〜1996年12月13日)は天津出身の劇作家です。本名は万家宝といい、幼いころ演劇好きな継母の影響でしょっちゅう観劇をしていたそうです。その後、天津で演劇活動の盛んな南開中学に進み、西洋文学に触れ作品の上演や創作に取り組みます。南開大学へ進んだ後、北京の清華大学に転学し西洋文学の研究に励みました。清華大学卒業後に書き上げた作品が『雷雨』(1934年)です。当時の封建家庭で起こる、複雑な人間関係をギリシア悲劇をモデルに描いたこの作品は、中国の現代劇の到達点であり、その後の話劇の方向性を決定する出発点ともなりました。その後『日の出』(1936年)を発表、戯劇学校で教鞭を執るようになった曹禺は、『原野』(1937年)、『北京人』(1941年)といった代表作を次々と創作していきます。1946年には『茶館』などで北京の旧風俗を描いた作家老舎とともに米国国務省の招聘で渡米し、現地で中国演劇の講演をしたり、米国の演劇に実際に触れたりしました。

中華人民共和国成立後は、中央戯劇学院副院長や北京人民芸術劇院初代院長などを歴任しました。

曹禺作品と日本

曹禺の作品は、日本との縁が深いものです。『雷雨』の初演は1935年日本で行われました。日本の一橋講堂で中国人留学生らの演劇団体中華話劇同好会により上演されたのです。また『日の出』も1937年3月に中華留東劇人協会により同じく一橋講堂で上演されました。

曹禺自身の来日は、『三訪日本』の中で語るように、1933年、1956年、1982年の3度です。1982年10月22日に日中友好協会の招聘により中国戯劇家代表団の代表として来日した際には、早稲田大学の敷地内にある演博にも来館し、記念撮影をしています。

演博は、1928年に創設された、日本で唯一の演劇博物館です。英文科の教授でシェークスピア作品の翻訳者でもあった坪内逍遥が、世界の演劇に関する資料を収集するためにこの博物館を創建しました。そのため日本、西洋はもちろんのこと、東洋殊に中国演劇に関する資料も豊富です。

北京人民芸術劇院戯劇博物館との交流を展示

北京人民芸術劇院は1952年に創立された、中国の話劇専門の国家機関です。曹禺が初代院長で、北京人芸の略称で親しまれています。2007年より戯劇博物館がオープンしました。2007年は、中国に近代劇が誕生して百年を迎えた年です。この近代劇の誕生にも、日本の演劇と留学生が深く関わっています。1907年、東京で中国人留学生たちが始めた春柳社という団体での演劇活動が、中国大陸に伝わり、中国での新劇を推進するのに重要な役割を果たしました。

北京人芸の戯劇博物館は、海外の演劇博物館を視察し、早稲田の演博も参考にされたそうです。そのご縁から、2009年秋に演博の竹本幹夫館長一行が北京を訪問、翌年3月には、今度は北京人芸戯劇博物館副館長である劉章春氏が東京の演博に来館しています。両館で日中の演劇に関する展示交流を行おうとの要望から、ちょうど2010年度が曹禺生誕百周年にあたるということで、それを記念した展示を行う運びとなったのです。私は2009年の4月より演博で東洋演劇の助手として勤務しており、担当者として曹禺展に関わることになりました。

2010年6月にはまず東京で『生誕百年記念 曹禺展』が開催され、秋10月からは北京人民芸術劇院で『日中近現代演劇展』が開催されます。

なぜ今曹禺なのか

今年の曹禺展は、単に百周年を記念した行事というだけではなく、曹禺について中国では再評価の意味、日本では再認識の意味があるのではないでしょうか。

北京人芸では、レパートリーに曹禺の『雷雨』や『日の出』があり、〝経典〟としての価値ある作品という地位を築いています。舞台だけではなく、映画やテレビドラマ化もされています。一方で『原野』という作品は、リアリズムではなく表現主義的な手法のために従来は失敗作とみなされ、上演されることの少ない作品でした。『原野』を評価する動きは1980年代以降に現れ、舞台化される機会も増えました。2000年代に入ると、北京人芸が李六乙演出で上演、また2006年には天津人民芸術劇院の王延松演出により上演され、作品の幻想世界を実験演劇の手法で再現する試みが生まれています。1980年代は「文化大革命」後、演劇界でも当時北京人芸にいたノーベル賞作家高行健による実験演劇が試みられた時期です。それは社会や家庭といった状況や人間関係の中に生まれる、懐疑や葛藤、いわば個人の心理を追求する動きでもありました。近年の『原野』の再評価は、現在生きている人間の持つ個性への追求を表しているのかもしれません。

 

人民中国インターネット版 2010年7月8日

 

 

 

 
 
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