開発で環境は守られたか

広西チワン族自治区欽州市のヒルギ林は典型的な海浜湿地を形成しており、欽州の発展にともなって生態系を守る役割も果たしている(写真・楊振生)

広い西部地区には草原や砂漠、高山、盆地、丘陵、高原、砂浜があり、多くの種類の野生の動植物が生存している。しかし西部地区の人口の増大と経済発展の追求につれて、これまでの一時期、西部地区に過度な開墾や伐採、過密な放牧という生産方式が出現した。それによって西部地区には水土の流失、砂漠化などの問題が起こった。また、急速な工業化によって、貴重な海浜の植物が激減した。これらは人々の生活に影響を与えたばかりではなく、西部経済の発展を制限するボトルネックとなった。

このため西部地区の自然環境の保護は、西部大開発戦略の中の重要な課題となったのである。

茶と竹を植え、豊かになった

中国は西部地区で相次いで治砂や自然林の保護、「退耕還林」などの一連のエコロジーのプロジェクトを実施した。その結果、この十年で西部地区の森林のカバー率は10.32%から17.05%へと上昇した。

内蒙古、陝西、甘粛、寧夏などの省や自治区では、「砂が進み人が退く」から「人が進み砂が退く」へと歴史的な転換を実現した。毎年、黄河に流入する土砂の量を三億トン以上減らした。

2009年に中央財政は農村の環境保護専用資金に3億8200万元を支出し、107万の人々が受益した。

四川省雅安市の双合村に住む王国良さん一家は、塩さえ買えないかつての貧しい暮らしから、十年も経たずに豊かな生活に変わった。それは「退耕還林」のおかげである。

王さんは68歳。耕地は12ムーあるが、そのうち4ムーは山を切り拓いた荒地だ。「昔はトウモロコシと米をつくっていたけれど、収穫量が少なく、いくらにもなりませんでした。子どもが出稼ぎに出て稼ぐ収入も多くはないので、暮らしはいつもきゅうきゅうでした」と王さんは言う。

1999年から「退耕還林」の政策が雅安でも実施され始めた。双合村の村民は、耕地に茶の木を植えるよう呼びかけられた。2000年に王さん一家も技術者の指導で茶を植えた。三年後、王さんの茶は出荷できるようになり、その年の茶だけで、収入は約6000元になった。

茶園で肥料を施している王国良さんの奥さん。良いお茶のできる春が待ち遠しい(写真・劉世昭)

「それ以後、家の暮らしは良くなり始めました。政府に感謝しなければならないのは、茶の木が育つ三年の間、政府が毎年、我が家に、一ムー当たり300斤(150キロ)の基準で食糧の補助をしてくれたことです」と王さんは言う。2004年以後も政府は、食糧の耕作をやめた農民に対し、毎年一ムー当たり230元の補助を継続し、それは2008年まで続いた。その後は、次第に豊かになった農民は、これまで得ていた補助が半減されたが、その分は橋の修築や道路の舗装などのインフラに使われた。

今では王さんは、この数年で貯めた資金で、近くの鎮に土地を買い、二階建てのビルを建てた。一階は400平米近くあり、ここに雑貨店を開いて息子の嫁が経営している。息子は茶葉の買い付けの商売を始めた。家の茶園は王さん老夫婦でやっている。一家の収入は、少なく見積もっても一年で十万元近くになるという。「この数年の間に、四川の有名な観光地はほとんど行ったので、次は北京に行きたいと思っているよ」と王さんは愉快そうに言った。

王さんの家から程遠くないところに、白い四階建てのビルがある。そこに住んでいるのは横岩村の張培林さん一家だ。今年60歳になる張さんは、王さんと同じように「退耕還林」の受益者である。彼は茶でなく竹を植えた。

張さんは46ムーの耕地と山の斜面を持っていて、以前はずっとトウモロコシを植えていた。当時は一ムー当たり300斤(150キロ)のトウモロコシがとれたが、多いときでも30元にしかならず、生活は楽ではなかった。張さんは、もし竹を植えれば一ムー当たり百元稼げると聞いたので、1981年、800元の資金を集めて竹の苗を買い、耕地に竹を植えた。三年後、この竹は2000元以上の収益をもたらした。

それから張さんは竹の栽培を独学で学び、この地ではもっとも早い竹の栽培者となった。1999年、横岩村で「退耕還林」政策が実施されたとき、張さんは自然に村の指導者となって、村民を率いて耕地をやめて竹を植えた。彼は自分が長年模索して積み上げた竹栽培の経験をみなに伝授したばかりでなく、無料で竹の苗を配った。

張さんは毎年、竹を製紙工場に売り、8万元を稼いでいる。2007年、彼は30万元で新しい家を建て、余った部屋を貸してかなりの収益を得るようになった。現在、四台の車を買い、家族がこの車で運送業を営み、多角経営をするようになった。生活は豊かになった。「これからも商売を続けるよ。70になったら引退するけれど」と張さんは得意気に言った。

張培林さんは竹で豊かになった(写真・劉世昭)

王さんや張さんの生活水準は、ここでは中の上に属している。現在、双合村と横岩村では、食糧を栽培している人は誰もいない。茶や竹によって、ほとんどの家が豊かになった。雅安地区全体で、1998年の農民一人当たりの純収入は1768元だったが、「退耕還林」を実行した後の2009年には4706元に跳ね上がった。

雅安市林業局の張武局長は「退耕還林」についてこう述べている。

「この政策は、一面で人々を豊かにし、もう一面で、多年生の茶の木や竹を植えることによって水土や山を保護した。『退耕還林』政策が追求した環境と経済の協調的な発展がここで実現したと言えるでしょう」  統計によれば、十年来、雅安地区では「退耕還林」が完成した面積は累計で94万2700ムーで、荒れ果てた山々の植林が完成した面積は73万2000ムーに達する。この地区の森林カバー率は、1998年の43%から2009年には55.5%に上昇した。水土の流失は32%以上減少した。いまでは、成都平原から青海・チベット高原に向かう途中にある雅安は、澄んだ空気と美しい環境で「保養地」になるという目標に向けて発展しつつある。

砂漠の村が豊饒の地に

52歳になるウーリンガオワーさんは、内蒙古自治区オルドス(鄂爾多斯)市オトケ(鄂托克)前旗アンス(昻素)村に住む牧畜民である。彼女の家の戸口の前は見渡す限りの生い茂った林である。この美しい場所が二十数年前までは一面の砂漠であったとは、誰も信じられない。

放牧が禁止されたあと、内蒙古自治区のホルチン(科爾沁)草原の生態系は目に見えて改善された。10年近い努力の結果、内蒙古自治区で砂を治めた面積は累計で2億6千万ムーに達する(新華社)

ウーリンガオワーさんは言う。「二十数年前、我が家は4、5ムーの土地にトウモロコシを植え、百頭以上の羊を飼っていました。砂嵐が起こると、植えていたトウモロコシはみな砂に埋まってしまい、育たなくなりました。樹木を植えて砂を治め、環境が改善されれば、もっと多く作物を育て、もっと多くの羊を育てることができる、と思いました」  そこで1985年から、ウーリンガオワーさんは夫とともに家の付近で植樹を始めた。食事の費用を除いてすべてのお金を木の苗を買うために使った。昼間、ウーリンガオワーさんが子どもを背負い、一日中働いた。夜は薄い粥をすすり、「窩頭」(トウモロコシやコウリャンなどの粉をこねて円錐形に丸め、蒸した食品)を食べるという生活は、非常に苦しいものだった。

木の苗を植えても、活着率は低く、彼女は少しがっかりした。「けれども夫は、私たちが木を植え続ければ、いつかは必ず成功すると励ましてくれました。夫が支えてくれたので、私はやり続けることができたのです」とウーリンガオワーさんは言った。

アンス村はマウウス(毛烏素)砂漠にあり、これまでずっと牧畜業を営んできた。総面積は68万ムー。住民は168戸にすぎない。ここは一年中乾燥し、雨が少なく、砂嵐が絶えない。それに加えて長い間、過度の放牧によって、草のある牧場の砂漠化や緑の後退は著しかった。

「草原は牧畜民の貯金箱。生態系が保護されていてこそ、子孫が引き続き利用することができる」。こうした考えが次第にアンス村の牧畜民の共通認識となり、ますます多くの人が植林と治砂に参加し始めた。ウーリンガオワーさん一家が植えた木の苗は9万株以上、面積は3000ムー以上になった。  

植樹し、砂を治めて、ウーリンガオワーさんは幸せな日々を送っている(写真・王丹丹)

樹木が壁をつくれば、環境が改善され、農作物や牧草が勢い良く育ち、牧畜民の収入も絶えず増加する。ウーリンガオワーさん一家の生活も、この十数年で大きく変わった。二人の息子は大学を卒業し、都会で働いている。ぼろぼろだった茅葺きの家から明るく、広々した270平米のレンガ造りの住宅に引っ越した。三台の車と一台のトラクターを持ち、家には水道と電話があり、衛星テレビも見ることができる。現在、ウーリンガオワーさんが請け負っている草地は千ムー、飼っている羊は二千頭以上、灌漑面積は145ムーにまで広がり、年収は20万~25万元に達している。「いまの暮らしに欠けているものはない。都会の生活と同じだわ」と彼女は満足気に言った。

森林保護と工業発展の両立

広西チワン族自治区欽州市は熱帯海洋気候の影響を受け、沿海の砂浜には4000ヘクタール以上のヒルギ(紅樹)の林が分布している。その林の中で、鶴類などの多くの水鳥や湿地の動物が生息している。生い茂ったヒルギの林は風波を防ぎとめ、海岸を保護し、汚染を減らし、気候を調節する役目を果たしている。  

当地の政府は非常に早くからヒルギ林の保護の重要性を認識し、毎年五月を、ヒルギ林の植樹と保護の活動月間と定め、すべての人々が義務としてヒルギ林の植樹をする活動を展開している。同時に専門の派出所を設立し、不法にヒルギ林を破壊して開墾したり、養殖したりする事件を厳しく調査し、処分している。このほか、林業部門も観測ステーションを設置し、ヒルギ林の成育区域の海水の塩分濃度の変化を定期的に観測し、病虫害の爆発的発生を予防している。

青海省の三江源自然保護区は、2000年に保護区に指定されて以来、生態環境は明らかに改善された(新華社)

この数年、同自治区の北部湾経済区の発展計画が実施され、欽州保税港区の設立が認可されたのにともなって、欽州市は工業を発展させ、核心となる工業区を建設するという歴史的な時代を迎え、巨大プロジェクトへの投資が相次いでいる。欽州市当局も、ヒルギ林の存在が一定程度、欽州の都市計画とプロジェクトの配置にとって不便をもたらし、一部のプロジェクトはヒルギ林の成育区を使用する必要があることを正直に認めている。  

このため欽州市政府は、新旧の都市発展計画を比較し、総面積三千ヘクタール近い茅尾海ヒルギ林保護区を策定した。この保護区内の植生を特別に保護するとともに、現地の冶金企業に、国の環境保護の基準に基づいて整頓・管理を行うよう要求し、一部の不合格の発電所、鉄鋼所、レンガ工場、製紙工場を閉鎖した。そして保護区の外のヒルギ林の用地を建設中に収用せざるを得ないときは、そのほかの湿地にヒルギを植え、工業の発展と環境保護の矛盾を最小にするようにしている。

2007年、欽州市は日本の日中緑化交流基金会の「緑化協力モデル林」プロジェクトに選ばれた。その後の三年間に、ハイレベルの護岸林820ムーを造営し、中日両国民の環境保護での協力の成功の模範例となった。

 

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