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上海・嘉興  党はここで生まれた 第一回大会会場跡

 

妻、二児とともに 毛沢東旧居

1924年1月、第一次国共合作(国民党と共産党との協力体制)が成立。毛沢東は国民党中央執行委員会候補委員に選ばれ、2月には国民党中央上海執行部に配属された。

6月初め、湖南省・長沙から妻の楊開慧と二児(長男・毛岸英、次男・毛岸青)、楊の母親の4人を迎えて住んだのがこの「旧居」。一家での上海生活は、この年の末まで続いた。

2階建て石庫門住宅の一階手前の部屋を毛と妻・二児が、奥の部屋を母親が用い、2階には毛の長沙時代からの同志である蔡和森夫妻が住んだ。

一階手前の部屋には毛、楊、二児のろう人形が置かれている。

私たちが訪れた昨年の12月26日は、ちょうど毛沢東の生誕117周年の日にあたっていたため、「毛沢東一家」の銅像の前には鮮やかな生花が手向けられるなど、人々の毛沢東主席に寄せる変わらぬ敬慕の念が知られた。

貴重な文物を陳列 孫中山故居

今年は辛亥革命100周年の年でもある。中国民主革命の途上で何度も失敗と挫折を体験した孫文(号は中山)は、「聯ソ(ソ連との協力)、聯共(共産党との提携)、扶助農工」の3大政策を掲げ、国共合作を実現させた。

国共合作前後、晩年の孫文が夫人の宋慶齢とともに住んだ旧居がここ。

夫妻は1918年6月からここに住み、孫文死去(1925年3月)後も1937年まで宋慶齢が住んだ。

夫妻が所蔵していた貴重な文物や身の回りの品々も大切に保存されている。

周恩来の面目躍如 周公館(中共代表団上海連絡事務所

1946年6月から翌47年3月まで中国共産党代表団の上海連絡事務所がここに置かれていた。代表団の団長として上海に乗り込んだのが周恩来だった。

国民党は、共産党との間で取り決められた「内戦回避、平和的・民主的な中国統一」の合意を破って解放区に侵攻。周恩来はここで記者会見を開き、内外の記者に共産党の立場と主張を訴えるとともに、国民党統治区内での地下闘争を指導した。

建物は地下1階、地上3階の洋館。一階が接客室、食堂、周の執務室兼寝室にあてられた。ベッドは南の窓際に置かれ、デスクが東の壁際にすえられており、ほかには何もないといった極めて簡素な部屋に驚く。

通りをはさんだ西側の建物には、常時、国民党のスパイが張り込み、館内に出入りする人物をチェックしていた。1979年に修復が行われ、一般公開。

 

 

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