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紅軍の運命変えた遵義会議の会場跡

 

茅台鎮 四渡赤水記念塔

「国酒」茅台酒は、中日国交正常化を祝う周恩来総理主催の宴会でも出され、日本では、周総理が田中角栄首相と何度も杯を重ねる光景が当時、人々の話題をさらったものだった。

赤水河越しに茅台鎮の町並みを望む

土城鎮を後に、赤水河に沿って自動車道を南に下り、茅台鎮に近づくと、ほのかに茅台酒の香がかおりはじめ、私たちは顔を見合わせてびっくりするやら、にっこりするやら……。

「中国第一酒鎮」の名にたがわず、茅台鎮は街の面積約5平方キロのうち茅台酒工場関連の敷地がその5分の3を占める「企業城下町」なのだった。

一晩で掛け渡された浮橋

1935年3月16日午後、紅軍総司令部から「16日夜から17日午前までに茅台鎮付近で赤水を渡河せよ」との命令が下った。当時の茅台鎮は600戸余り、人口3千人ほどの内陸河川に臨む港町で、埠頭からは主に茅台酒を積み出し、四川から船で運ばれてくる塩を下ろすなど水運で栄えていた。

赤水河にはもともと鉄索でつないだ浮橋があったが、紅軍が進攻してくると知った国民党守備軍は、橋げたの上の木板を外して逃げるのが精一杯で、船と鉄索はもとのままだった。

赤水河西岸の山上に建つ四渡赤水記念塔

紅軍の工兵はまたたくまに木板を橋げたに渡し終え、さらにこの浮橋の上流と下流に新たな浮橋を架け渡して三基の浮橋を整えた。こうして紅軍は難なく赤水渡河に成功したのだった。

赤水河西岸の朱沙堡山の山頂には、堂々とした紅軍四渡赤水記念塔が赤水河を見下ろすように建っている。4本の石柱が「四渡赤水」をシンボライズし、高さは25メートル。紅軍の2万5000華里の長征を象徴する。山頂から赤水河の河岸にかけては、よく整備された公園になっていて、「茅台大橋」が架かるあたりに、紅軍赤水渡河の浮橋が架け渡されたことを示す石碑が立つ。

茅台鎮では入城した紅軍将兵を街の人々が茅台酒でもてなした。兵士たちは、この名酒を痛飲しただけでなく、顔や頭、はては足まで洗い、傷口を消毒するなどして、思い思いに茅台酒を「満喫」したのだった。

こうした光景を目にした周恩来は、「同志諸君はご存知か。この酒はパナマ万国博覧会で金賞を獲得した貴州茅台酒だということを」と兵士たちをたしなめ、茅台酒がどのようにして造られ、いかに優れた酒であるかを説いて、「決しておろそかに扱ってはならない」と教え諭したという。

 

 

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