青島という都市の精神的家系図の中で、地元市民が最もよく集まるショッピングエリア・台東地区は欠くことのできないピースだ。
台東には、前海沿いの名人故居群のような濃厚な文化的香りはない。また東部新城の巨大ビル群が示すような国際モデルもない。そして、四方の伝統的企業密集エリアのような工業的雰囲気はさらにない……。
台東は市井の、草の根的存在だ。店舗がひしめき多くの人出があり、尽きることのない喧騒と限りない欲望に満ちている。野草のように元気がみなぎり、庶民の美しい娘のように風情がある。
台東のこうした気質は、すでに青島建置のころからあったものかもしれない。大勢の農民が住みなれた田畑を離れ、ここに集まってきたとき、それはすでに決まっていたのかもしれない。そのとき、人々の心は波打っていたはずだ。よそに比べて4、5倍も高い給料、そしてそれ以上に、未来に対する止めることのできない欲望がそこに満ちていたからだ。
そして、「廃品市」「貧乏市」を発端に、各種の市場や芝居小屋などが時運に応じて誕生してきた。こうして、ドイツ人が計画建設した碁盤の目のような、中国労働者エリアは迅速に繁栄し始めたのだった……。
しかし、続く年月の時局は不安定で、台東地区は浮沈を繰り返した。それでも、当初の欲望は失われることはなく、それだからこそ、改革開放後、台東歩行者街はこれまでとは違った勢力が突然表れるように振興し、都市の中心がいかにモデルチェンジしても、このエリアはずっと人気を博してきたのだ。
現在、台東を散歩すれば、人々はすぐに喧騒に巻き込まれる。それは人々を魅了する、120年のこだまのようだ。(段暁東)
人民中国インターネット版 2011年6月28日
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