13億人の幸せのために

 

張春侠=文 馮進=写真

中国共産党が政権を掌握して以降、中国人民の生活には文字通り天地を覆すような大きな変化が起こった。衣食住や交通といった日々の暮らしはもちろん、精神面、文化面での生活にも大きな変化が起こったが、それは中国社会の発展を如実に示すものにほかならない。

「そりゃ、今がいちばんさ」

私たちは北京のある住宅区に「定年退職者娯楽室」を訪ねた。何人かのお年寄りがビリヤードに興じているのを目にし、その中の一人、李広義さんに声をかけ、話をうかがった。李さんは今年80歳。老いてますます壮健といった感じで、終始にこやかな笑顔を絶やさない。話好きで面倒見のいい李さんは、みんなから親しみを込めて「李師匠」と呼ばれている。

話が今の暮らしに及ぶと、李さんは「そりゃ、今がいちばんさ。昔とは比べようがない」と語り出し、80年の人生を話してくれた。

自宅にほど近い野菜市場でトマトなどを買い求める李さん
李さんの故郷は山東省の濰坊市。幼少時、家は貧しく、一家8人の食べ物といったら、トウモロコシ粉を練って円錐形にし、蒸した「窩頭」と塩漬けの漬物だけで、それも腹いっぱいは食べられなかった。年にただ一度、年越しの晩にだけ、小麦粉の白い「饅頭」とわずかばかりの肉が出た。

「子どもたちは、そりゃ、年越しの日が待ちどおしかったもんでね。旧暦の12月30日の晩にだけ、饅頭を一人ひとつずつ頬張ることができた。それと一鍋の粉条白菜。ひも状のはるさめを白菜といっしょに煮たもので、ほんの何かけらかの肉が入っていた。どれほどおいしく思われたことか。翌朝には野菜の具の餃子が出た。これが一年でいちばんのご馳走だったのです」

当時、李さんの父親と祖父は家の中庭で野菜作りをしていたので、貧しいながらも周囲と比べれば、まだましなほうだったという。年越しの食事にも、薄い粥をすするしかなかった家々が少なくなかったのだ。

「それが、どうだい。今じゃ、いつでも鶏だ、アヒルだ、魚だ、肉だとふんだんに出てくる。年越しのご馳走ときたら、テーブルいっぱいにあふれるほどの料理が並んで、とても食べきれたものじゃない」

中国では古来、「民は食を以って天と為す」といわれ、「食」は人々の生活の中で特別な地位を占めてきた。新中国成立前、中国経済は疲弊し、市場は寂れ、物価ばかりが高騰して、物資は底を突いていた。人々は最低の生活を余儀なくされ、米ぬかや野草で飢えをしのいでいたのだ。李さんの家は恵まれていたと言うべきだろう。

何ともわびしい食卓───

1951年、李さんは山東省の故郷を離れ、北京にやってきた。北京師範大学の食堂でコックとして働くためだった。給料は月20元ちょっと。数年間は昇給もなかった。1960年代になって、月給が55元に上がり、夫人の月給35元を合わせて、一家6人の生活を賄った。

「あのころは、毎月の給料はよくよく算段して使わにゃならなかった。まずは田舎へ仕送りする。それから子どもたちの託児所にはらう金。その余りで毎日の家計を何とか賄ったものさ」

人々の生活上の悩みは収入が少ないことだけではなかった。1980年代初めまでは、中国はまだ計画経済の時代で、物資の供給は限られており、何を買うにも配給切符や購入通帳を必要とした。肉や鶏、アヒル、玉子などの副食品も供給が不足しており、野菜の種類も量も乏しかった。北方では、食卓に並ぶ野菜といったら、ダイコン、ジャガイモ、ハクサイばかりで、夏にトマトが加わるくらいのものだった。来客があったときと旧正月か国慶節などの祝日に、肉か魚の料理が出され、果物が食べられた。何ともわびしい食卓だったのだ。

「食糧の生産量が限られていたから、米でも小麦粉でも配給切符なしには買うことができなかった。ほんとうに大変だった時期には、一人当たり1ヵ月に百グラムの食用油と一日に200グラムの食糧が配給されるだけだった。肉も野菜も、ほとんど口にすることができなかったのさ」と李さん。昔を回想し、今を思うと万感胸に迫るという。「限られた食糧を丹念に量って計画的に食べるしかなかったんだ。そうでないと、翌月の配給までに食べ尽くしてしまい、一家が飢えにさいなまれることにもなりかねなかった」

1978年に始まった「改革開放」によって、こうした「何とか食いつないでゆく」生活も終わりを告げた。そして、中国社会は「基本的に衣食の問題が解決された」段階から「いくらかゆとりのある生活」の段階へと力強い歩みを進めることになった。1978年の中国の都市住民の生計費に占める食費の割合(エンゲル係数)は57.5%だったが、2010年には35.7%まで下がった。都市住民の全体的な消費水準は「いくらかゆとりのある生活」の段階に入ったと言っていい。

いまは健康を第一に───

近年は、農業科学技術の発展と流通の発達によって、新鮮な野菜や果物が一年四季を通じて人々の消費需要を満たしている。ジャガイモとダイコン、ハクサイだけで一冬を過ごすという食生活は、もう昔語りになった。李さんが毎月受け取る年金は3000元余り。野菜や副食品、食糧の問題で頭を悩ますことはなくなった。「わが家のすぐ近くにスーパーも野菜市場もあって、新鮮な野菜や副食品があふれるほど並んでいる。何を買ったらいいか、今じゃ、それで頭を悩ますしまつでね」と李さん。

スーパーでは各種の食品が大量に供給されている

種類も量も格段に増えたばかりではない。都市住民の所得の増加と生活水準の向上は、人々のライフスタイルと消費観念にも極めて大きな転換をもたらした。人々がまず買い求めるのは、汚染がなく健康的で栄養に富んだ食品だ。

あの生活が困難だったころ、李さんは肉を買い求めると決まって脂身からラードを作った。「鍋の底に残った脂のかすにちょっと塩を加え、こいつをこそげて饅頭にはさんで食べると、そりゃあ、うまいのなんのって」

生活が豊かになってからも、李さんはずっとこの「料理」が好物の一つだった。やがて、テレビの健康番組を見てさまざまな養生の知識を学び、息子や娘たちからも「そんな食事では健康を害しますよ、お父さん」と言われて、ついに長年親しんだ好物も「割愛」することになった。今では、李さんも自分の健康に十分注意するようになり、買い物でも調理でも、まずは体に良いかどうかを考えて、塩や砂糖は少なめに、肉も多くはとらないようになっている。「生活が豊かになって、かえって食が細くなってしまったよ。野菜を多く食べるのが健康にいいということだね」と李さん。

李さんは足腰もしっかりしていて、毎日公園に出かけ、ダンスをしたり散歩をしたり、生活を存分に楽しんでいる。「今の政策は、ほんとうに大したものさ。65以上の老人は無料で公共バスを利用できる。80以上のお年寄りには北京市政府が毎月百元の『養老券』を支給してくれる。年を重ねれば重ねるほど暮らしが豊かになるのさ」

李さんの思いは多くの人々の気持ちを代弁するものであると言っても決して過言ではない。中国国家統計局の2010年のデータによると、中国の都市住民の一人当たり年間可処分所得は1万9109元に達し、前年比7.8%も伸びているのだ。

 

 

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