1891年6月14日は青島が置かれた記念すべき日である。同年同日、章高元は青島に駐兵し、現在の人民会堂あとに総司令部をもうけ、この時から小さな漁村だった青島の運命は新しい曲がり角を進み、世界の枠組みに参与するようになった。膠澳駐兵防備は、本来は清朝による資本主義国家の植民地拡張への警告であったが、この駐兵防備期間に、伝統的な農業、漁業、近海輸送業、小規模な貿易は発展し、同時に青島の本島の文化が継承された。 六年ののち、ドイツ海軍は膠州湾を占領し、清朝の駐兵防備は、最終的には青島の植民地化を防げなかった。だが、ドイツの占領期間、青島では都市計画が実施され、自然の条件を利用して港、鉄道、教会、都市インフラ、市場、貿易などが建設、経営され、青島には近代都市としての規模と能力が備えられた。(王娉)
人民中国インターネット版 2011年7月28日
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