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ゆかりの地を訪ねて

 

横浜 孫文が6年近く滞在した

横浜金沢区富岡東4-1-8

慶珊寺の脇にある孫文上陸地記念碑

1895年、清朝政府に追われ初めて日本にやってきた孫文は、横浜で「興中会」横浜分会を創設した。1897年8月、再び来日した孫文は横浜で宮崎滔天と平山周と知り合い、革命家同士の固い絆で結ばれた。1913年、「二次革命」に失敗した孫文は日本に逃れ、神戸を経て横浜・富岡の海岸に上陸した。日本の多くの志士に護衛され、袁世凱が放った刺客から守られた。

孫文は通算で約9年日本に滞在したが、そのうち横浜での滞在期間は6年近くにもなる。

長崎 辛亥革命を言論活動で支援

東洋日の出新聞社」跡に建てられた「孫文先生故縁之地」の記念碑 (写真提供・長崎県文化振興課)

「武漢観戦通信」が載っている『東洋日の出新聞』 (写真提供・長崎県文化振興課)

長崎市油屋町には、1902年に鈴木天眼が創立した「東洋日の出新聞社」があった。天眼は宮崎滔天らと深く交流しており、『東洋日の出新聞』でも孫文の活動を積極的に報道した。辛亥革命が勃発した後、記者の西郷四郎は天眼の指示を受け、長崎を出港した『春日丸』で清朝側と革命軍の戦闘が続く漢口、武昌に入った。1911年11月10日付の『東洋日の出新聞』の1面には、西郷が書いた「武漢観戦通信」という記事が載っている。

天眼や四郎による言論活動は、世論を喚起し、辛亥革命を大いに支援した。

神戸 孫文が最初と最後に訪れた地

神戸の大倉山公園にある孫文の胸像(写真・賈秋雅

孫文の来日の最初と最後はともに神戸で、少なくとも18回は神戸を訪れていた。呉錦堂、王敬祥ら神戸の華僑、三上豊夷、松方幸次郎ら神戸の実業家たちが孫文の活動を支援した。

 

人民中国インターネット版 2011年10月10日

 

 

 

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