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「新中国はここからやってきた」 西柏坡

 

平山県 

参観エリアの入り口に置かれた彫塑「新中国はここからやってきた」

西柏坡村は河北省の省都、石家荘市の管轄下にある平山県内の一小村で、石家荘市の市街区からは北西に約80㌔ほど。太行山脈の山間地と華北平原の西端の丘陵部にまたがる平山県のほぼ中央に位置する。  

平山県では早くから中国共産党の活動が行われ、1931年には最初の党支部が成立、翌32年には平山県党委員会が成立し、37年には県下の党支部は70余に、党員は800人を数えるまでに発展した。  

西柏坡村にも1938年に党支部が成立、48年には全村で44人の党員が活躍するまでになっていた。  

1947年5月、中共中央工作委員会の劉少奇書記と朱徳副書記が平山県に入った。  

一帯には滹沱河が潤す肥沃な耕地が広がり、物産も豊かだ。丘陵地帯を抜ければ、30㌔先に華北平原が広がり、交通の便もいい。  

平山県内のいくつかの村が延安を後にした党中央の移駐先に選ばれたが、人口が多すぎれば、機密が漏れることにもつながりかねない。最終的に、小さいながらも家屋が集中していた西柏坡村に白羽の矢が立てられることになった。

記念館の正面ホールで入場者を迎える群像。 77名の第7期中央委員会委員(44名)・候補委員(33名)

 ■『中国土地法大綱』を公布  

1947年の西柏坡村は戸数85、全村の人口は325人で、水稲と小麦の二毛作が行われていた。  

全村から8人の若者が解放軍に志願し、延べ700人が解放軍に協力して、前線の支援・補給にあたった。500足の軍靴と600着の軍服を村人たちが手作りし、解放軍に届けている。  

西柏坡では、党中央の移駐に先立って、1947年の7月から9月にかけて、全国土地会議が開かれた。封建制の根深い基盤だった地主制を廃し、どのように土地を耕す者に分配するか。それは中国革命の将来を左右する重要な課題であり、多くの農民の心を中国共産党がつかめるかどうかの試金石でもあったと言えよう。  

会議を通じて『中国土地法大綱』が採択され、党中央の同意を得て、10月10日、正式に公布された。公布後、各解放区では土地改革が行われ、約1年の間に1億人の小作人が自分の耕す土地を手に入れることになった。  

党中央が西柏坡に置かれた期間は、わずか1年足らずに過ぎないが、新中国の誕生を前に、さまざまな試行が行われた。中央銀行である中国人民銀行が成立し、最初の人民元紙幣が発行されたのも、ここ西柏坡だった。

 

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