400年余の歴史 
日本最古の中華街

新地 中華街

400年もの中日交流の歴史が、東西南北に延びる全長250メートルの道路沿いに凝縮されている。

1698年、中国からの貿易品を収めていた海沿いの倉庫が大火事で消失。中国商人の住まいであった唐人屋敷前の海を埋め立て、新たに建設された。そのため「新地」や「新地蔵」と呼ばれた。

明治維新後、唐人屋敷と新地蔵が共に廃止され、在留の中国人は港に近い蔵跡地に移り住み中華街が形成されていった。

2011年1月には中華街隣接地に450平方メートルの「新地橋広場」が完成。フラットな石畳が敷き詰められた広場は「長崎ランタンフェスティバル」の会場、「長崎くんち」のステージとして広く活用され、新地中華街一帯は中国文化の新たな発信地としての機能を果たしている。

国宝や重文も 
300余年の歴史ある寺

中国でもめったに見られない「媽祖門」
二つの国宝、五つの重要文化財を含む21もの文化財がある、長崎四大唐寺の代表格。新地中華街の鬼門である北東に位置し、邪気を封じる役割をしているといわれる。

崇福寺は17世紀に中国からの高僧・超然により創建されたもの。第一峰門は、本堂である大雄宝殿とともに、江戸時代初めに伝来した明末清初の建築の影響が著しく、日本の文化史上も重要であり、日本の国宝に指定されている。

中国南部の沿海地域で信仰される航海の神を祀った媽祖堂には、これに付随して日本唯一であるだけでなく、現在の中国でもめったに見られない「媽祖門」がある。これも日本の重要文化財。

寺を散策する際は、建造物の配置を含め、至る所にちりばめられている桃やコウモリなど中国の縁起物の数々に目を凝らして歩くことをお勧めしたい。

日本唯一、華僑がつくった孔子廟 
世界唯一、故宮の海外定期展

孔子廟

1893年、長崎の華僑たちは清朝政府の援助を得て、中国人が居住していた大浦外国人居留地に、孔子の生地である山東省曲阜市にある孔家の廟に倣った「孔子廟」を創建した。これは日本で華僑によってつくられた唯一の孔子廟である。孔子像を祀った本堂の大成殿前の広場に、中国でも珍しい孔子の弟子72人の石像が向かい合うように立ち並んでいる。

大成殿の後方に、中日文化交流を目的とした中国歴代博物館がある。中国北京故宮博物院との提携により、同館には定期的に、文化的価値の高い中国の国宝クラスの文物が展示されている。中国以外で常設展示を許された唯一の場所である。

中国歴代博物館に展示されている故宮の宝・虎紐「乾隆御筆」
田黄石製、清の乾隆帝親筆用の印章

日本唯一、華僑がつくった孔子廟 
世界唯一、故宮の海外定期展

「中国革命の父」と称される孫文は長崎県と深い縁がある。孫文は長崎を九回訪れ、長崎生まれの梅屋庄吉と生涯、親しく付き合った。梅屋は私財を投じて孫文の革命事業を支援し、夫人トクとともに、孫文と宋慶齢の結婚も助けた。孫文の号である「中山」の名をつけた「中山艦」も、長崎市の三菱造船所で建造された。

長崎市油屋町には、1902年に福島県二本松出身の鈴木天眼が創立した「東洋日の出新聞社」があった。辛亥革命が勃発した後、「姿三四郎」のモデルと言われる西郷四郎が鈴木の指示を受け、現地に赴き、孫文らの活動を積極的に報道した。

孫文と梅屋庄吉夫婦の銅像

 

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