中日外交史上の釣魚島主権係争に関する
暗黙の了解と共通認識を振り返る

 

中国社会科学院日本研究所副所長 高洪

2012年9月10日午後、日本政府は長期にわたる釣魚島に関する中国との間に達成した暗黙の了解と共通認識に背き、いわゆる「尖閣諸島の地権者」の手から、中国の釣魚島及びその付属島嶼の北小島と南小島を直接「購入」することを決めた。日本のこの行為によって、人々は再び「中日間に釣魚島の主権係争に関する暗黙の了解と共通認識は存在するか否か」という話題に注目するようになった。

周知のように、中日が国交回復交渉を開始した当初から、釣魚島の主権の帰属に関する食い違いが交渉の大きな障害だった。当時、国交正常化の実現は両国外交の戦略的な選択の当面の急務だったことに鑑み、釣魚島問題が国交回復のプロセスを妨げないように、田中角栄首相と周恩来総理はこの問題について「いずれ協議する」と取り決めた。これが中日の間に釣魚島係争問題に関して、「暗黙の了解」が存在する始まりと見なされている。

1970年代中後期、中日は「平和友好条約」を締結するため努力していた。そのため、鄧小平副総理の訪日期間中に、日本側首脳と釣魚島問題に関して「暗黙の了解」に達していたことについて、両国の言論界と大衆はすでに熟知していた。1978年10月25日、鄧小平副総理が福田赳夫首相と会談した際、「ある問題に関して、それぞれ違う見方を持っていることは完全に理解できる。例えばあなた方は『尖閣諸島』と呼び、我々は釣魚島と呼んでいる問題は、まさしく見方が違うので、会談では触れず…、次の世代は、我々より賢いだろう。大局は大切だ」と語った。福田首相もこれに反対しなかった。

しかし、1996年、「国連海洋法条約」の発効後、日本外務省は、係争問題の存在を承認し、中国側と暗黙の了解に達しているという公式の立場を突然変えた。そのため、中国外交当局は数回にわたって申し入れた。1996年11月23日、中国の銭其琛外交部長(外相)は日本の池田行彦外相と会見し、日本側に釣魚島に関する双方の共通認識を勝手に変えないことを要求した。池田外相は次のように言明した。

この問題に関して、双方は立場が違っているが、冷静に対応し、両国関係の大局を損なわないように努力すべきである。日本の一部の民間人はいわゆる灯台を勝手に建てたが、それは日本政府の立場とまったく関係なく、逆に日本政府に難題を突きつけた。

そのほか、中国政府の「主権はわれわれにある。係争問題は棚上げにする。共同開発を行う」という立場に対し、日本政府は右翼の行為は「政府の立場に背離している」と表明し、また日本政府は右翼の行為には「支持せず、奨励せず、承認せず」としていた。日本の海上保安庁は右翼分子の上陸を一貫して阻止し、島への建築材料の輸送も制限した。2002年、日本政府は民間人から釣魚島など三つの島嶼を「借り受け」た。これに対し、われわれは日本に厳正に申し入れた。日本側は、これは「関連島嶼に対する平穏かつ安定的な管理を保持するためである」だと称し、いかなる人間の勝手な上陸も禁止した。日本側はわれわれに対してこう説明した。この政策の意味は右翼分子の上陸によって引き起こされる紛争を防止するためで、「借り受け」方式は日本側が研究した措置のひとつで、政府が釣魚島を「国有化」することは中国側がきっと受け入れられないので、慎重に考えた結果、「借り受け」の形を取った。最近も、日本警察は島に上陸した地方議員と国会議員を呼び、事情聴取した。

以上の事実が説明しているように、両国が国交正常化を実現して以来四半世紀にわたって、この係争問題はおおむね暗黙の了解の形で中日間の外交関係で実践されていた。しかし、1996年以降、日本側は係争問題が存在する事実を否認し始め、この問題をますます複雑化し、爆発の「火種」を残した。中日両国がもし本心から係争問題を解決したければ、係争問題の存在を直視し、交渉のテーブルにつき、落ち着いて穏やかに対話し、意思の疎通を図り、新たな共通認識とバランスを見つけなければならない。こうしてこそ、両国民の安寧と幸福が確保され、しかも、東アジア地域全体の繁栄と安定を保つ上で、国際社会が中日両国に求め期待していることである。

 

 

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