中国にいる日本「鬼子」

 

王瑩 蘇州大学 

中国ではこんな日本人がいる。いくつかのTVドラマにエキストラ役で出演し始まり、中国で一位二位の人気を誇る湖南衛星テレビの国民的バラエティー番組「天天向上」の司会「天天兄弟」まで、彼は諦めずに必死に努力し、芸能界でついに自身の居場所を見つけたのだった…彼は俳優の矢野浩二さんである。中国で活躍している外国の俳優は多く、矢野浩二さんもその一人だ。芸能界で這い上がってきた道は簡単なものではなかったが、彼は今、中国で最も成功している外国人俳優であると言っても過言ではない。彼は中国に滞在した十年間では、事業がますます順調に進んだ。その間、重慶出身の素敵な中国人女性と結婚し、2010年秋に女児が生まれている。今は家族と北京に住んでいる。

2007年の元旦、実家に帰って、親族を訪ねていた矢野さんは、街頭で日本の過激派に殴られた。全身は怪我をしたことがたくさんあったけど、彼は俳優の顔が命だと思って、頭を保護した。その当時は非常に乱暴だったが、案外に落ち着いた矢野さんは、「中国を愛してることはだれもやめない。」と、大声の中国語で叫んだ。その後、浩二さんは日本から北京に戻った。実は、矢野さん自身も「自分は祖国である日本を愛しているし、中国も愛している。中国の文化も歴史も人々も、すべてが大好きだ」と言っている。現在、矢野さんには中国人の妻と娘があり、中国の地で自分の家庭を築いている。彼は「二つの国の愛が自分にはあり、この上なく幸せだと感じている」と話した。

『記憶の証明』の岡田監督と『小兵張嗄』の斎藤、『烈火金剛』の毛利隊長、『野火春風斗古城』の多田、『鉄道游擊隊』の岡村、『逐日英雄』の阿部健雄などに出演した矢野さんは、「鬼子専業家」となる。それなので、もし矢野は日本へ帰るとしたら、許さないという声が日本国内にある。つい事件が起こったのである。

中国抗日戦争をテーマーにした映画での「日本鬼子」役を出演してから、矢野さんは考えられないストレスに耐えている。もちろん、一番大きいストレスは日本国内からのである。テレビドラマ『記憶の証明』は中国で何度も放送されたとき、「読売新聞」と「朝日新聞」などのいくつかの日本有名新聞は、矢野さんが『記憶の証明』で岡田監督役に出演するニュースを報道して、一瞬にして物議を醸していた。「個人ウェブサイトも攻撃されたけど、家族の支持を持っている私は全然怖がなかった。ずっと反対者を取り合わなかった。」と矢野さんはこのように話した。

端正な顔立ちを持っている矢野さんは、現代劇において中国人役に出演してみる願いがずっと以前からあって、この機会を心から待っている。嬉しいことは、映画ファンが次第に多くなった彼は中国で少しも寂しい感じがない。今年の1月21日、上海で出演していた矢野さんは自分の誕生日を迎えた。彼は制作チームのバースデーケーキをもらっただけでなく、たくさんの映画ファンははるばる遠い所から彼の誕生日を祝った。非常に感激して涙があふれ出した矢野さんは頻りにお辞儀をした。

なぜこの日本の若い俳優は、中国抗日戦争をテーマーにした映画で罵られた日本人の軍人役を出演したか。日本では、中国侵略戦争に関わる映画は大変少ないので、矢野さんを含む多くの若者は前世紀三、四十代の戦争は詳しく知らないのである。彼も周りの北京の友達からこの戦争のことを聞いて、だんだん分かるようになった。それで、中国語で自分の出演する役を「坏蛋」と呼んだ。「人々はこの歴史をよく知るように、日本鬼子役を演じたのだ。」と、平和を希望している矢野さんは本心を言った。

中日間には払拭できない苦い歴史がある。しかし、それはあくまでも過去のことであり、矢野さんが責められる対象となってはいけない。彼は中国に俳優として生きていく道を探しに来たのであって、侵略しに来たわけではないのだから、中国人の敵ではないのだ。日本人にとっても、彼は決して裏切り者ではない。矢野さんの国籍は日本のままだ。

 

昔から、中国では「和を以て尊しと為す」、「己の欲せざる所、人に施すなかれ」などのような諺がたくさんある。こういう諺からみても、人々の調和を追い求める精神があることが分かる。今日、平和と発展は世界の流れだとだれもが認めるところである。一世代には一世代なりの使命がある。我々若い人は自分の行いによって、世界平和の増進に役立ちたいと思っているので、中日両国は互いに交流し、優勢を補い合い、相互に促進し、共同発展を図れると信じるのである。

 

 
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