母なる姚江の恵み

 

余姚は、気候は温暖で湿潤、銭塘江下流域で土地も肥沃で、狭いながらも遥か古代から栄え、幾多の文化的巨人を輩出してきた。この地では、後漢の隠士・厳子陵(前37~43年)、明代の思想家で教育家の王陽明(1472~1528年)、明末清初の儒学者で日本と深い関わりを持つ朱舜水(1600~1682年)、明から清にかけての啓蒙思想家の黄宗羲(1610~1695年)を余姚の「四賢人」と呼ぶ。なぜ、この地が優れた人物を育てたのだろうか。

ちょうど春から初夏にかけての雨の多い時期、ここでは降ったり晴れたりと天気が変わりやすく、外出に雨具は必携だ。余姚の市街地を行くと、鮮やかな緑の木々が豊かに茂り、江南特有の白壁や灰色の瓦が雨に洗われて、一種静寂に満ちた文人の息吹といったものが漂ってくるようだ。余姚では中心街でも水や山、橋が織りなす江南らしい風景を目にすることができる。西から東に市街を貫いて流れる姚江は、余姚の人々の生命と精神の源で、母なる川とされている。

明代から姚江地域は文化的要衝となった。王陽明をはじめとする余姚の儒学者、思想家は中国の文化をリードする立場とされた。市の中心部にあり姚江に隣接する龍泉山は緑深く、曲がりくねった小道が頂上へと続いている。王陽明と朱舜水はこの龍泉山の北のふもとに生まれた。彼らの誕生は1世紀以上の隔たりがあるが、この地の美しい山水は二人の心に触れ、思想・発想を呼び起こしたのだ。

余姚から文化人が多数輩出してきた理由について、地元の研究者は、環境の美しさや恵まれた物産以外に、余姚にある師を敬い学問を重視する気風が大きな要因だと考えている。余姚は古くから学問の気風に満ち、漢代にはすでに地方政府が設置する学問所「学宮」が置かれていた。唐代から清代末まで県学や書院、私塾などの教育機関があり、姚江書院や龍山書院は当時の賢人たちが指導する重要な場所だった。

江南の小都市らしいたたずまいの余姚市中心部

龍山公園は市民の憩いの場にもなっている

 

人民中国インターネット版 2014年6月

 
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