竹に囲まれた暮らし

 

金冠村には古い建物や古木が並び、小川がさらさらと流れるが、その様子はまるで陶淵明が書いた「桃源郷」の世界をほうふつさせる

余姚市街から10㌔ほどの場所に、山と渓流に囲まれた村落がある。山の中腹まであるダムを越えて曲がりくねった山道を登り、村落に近づいた時に眺めると、竹林の竹が衛兵のように立ち並んでいるのが見える、風に吹かれて揺れる姿はまるで遠方からの客を手招きしているようだ。この竹の衛兵に守られている村落が、朱舜水の祖先が暮らした金冠村だ。

金冠村はもともとあった金嶴村と冠珮村が合併してできた。旧冠珮村地区住民の多くが朱姓だ。宋代の兵部尚書(国防を担当する部署の長官)朱廷碧は冠珮村の美しい風景に引かれて老後に移り住み、余姚に長く続く朱家の始祖となった。朱廷碧の6世となる朱正秦には3人の男の子があったが、朱舜水はその次男の13世に当たる。

「靠山吃山」(山辺の者は山に糧を求める)と言うが、金冠村は竹を産し、村民は代々竹で暮らしを立ててきた。村の党支部書記・朱大泉さん(57)によれば、二、三十年前までは村の竹製品生産は盛んで、竹の担ぎ棒、竹のイス、竹カゴ、竹ぼうきなど、多くの家庭が竹や竹製品の販売を収入源にしていたという。現在ではモウソウチク(孟宗竹)の価格は低迷しており、500㌘で3角(約5円)ほどにしかならない。村には竹を加工する工場もないことから、竹製品を扱う人は減り続けている。

竹林は請負制で管理されており、農民は自分の管理する竹林でのみ竹を伐採する

この地のタケノコは大ぶりだが、食べると柔らかく口当たりがいい

金春根さんが作る竹イスはできたばかりの時は緑だが、時間が経つに連れて次第に黄色に変化していく

 

金春根さん(51)は、現在村でたった一人残る竹イス職人だ。ほかの職人たちの多くは建設用の竹の足場を作っている。金さんはすでにこの道30年以上のベテランだ。彼によると「竹イスにするには6年以上の、簡単には変形しないものを使います。背もたれ部分の湾曲がカギで、竹の繊維は切れやすいので、火であぶって竹のしなやかさとのびを強めます」ということだ。竹イスのことになると、金さんの口調は堂々としたものになる。竹イスは注文生産で、通常は1日8脚製作することができ、1脚50元(約800円)で売れる。注文は毎日あるわけではなく、収入にもゆとりがあるわけではないが、それでも彼はこの仕事を続けていきたいと考えている。

村では多くの人が山の竹林を請け負っている。金国苗さん(53)は20ムー(約1万3000平方㍍)を管理しているが、彼は見事な竹の伐採技術を持っている。腰に差したオノを取り出し、近くから角度を定めると、力を込めて竹に振り下ろす。何度か繰り返すと竹はゆっくりと倒れ、竹葉が擦れる音が響く。まるで軽快な音楽を奏でるようだ。

4月はタケノコのシーズンで、村には屋台も出る。屋台の竹カゴいっぱいに並べられたタケノコのふっくらと豊潤な姿は、春の恵みを伝えている。地元の人によれば、タケノコ掘りの技術はとても奥深いものだという。春のタケノコは、地面にほんの少し顔を出した時が最も新鮮で柔らかい。このためタケノコ掘りには眼力と経験が必要だ。経験のある人はタケノコの穂先がまだ地上に出ていなくてもタケノコのありかを見ぬくことができる。タケノコを傷つけずに根本から掘るためには、正確に位置を見ぬき、巧みに掘り出すことが求められる。

余姚の人は春タケノコを大きめに切って水煮にしたり、豚肉と一緒に醤油煮込みにするなど、シンプルな調理法で料理する。タケノコ本来のうまみを大切にしているのだ。また、鮮度落ちの早いタケノコを保存するため、タケノコのスライスをセリホンと混ぜ天日干しにして筍乾菜とする。混ぜることでもともとの味わいに香りが加わり、双方の美味しさが最大に発揮されるのだという。

 

人民中国インターネット版 2014年6月

 

 
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