歴史を銘記し 平和を願う

 

2014年2月27日、中国政府は9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とし、12月13日を南京大虐殺犠牲者国家追悼日とすることを決定した。この決定は、国内外の世論を騒がせたと同時に、人々の戦争と平和、正義と邪悪、苦難と幸福についての思考を呼び起こすものともなった。

歴史を記憶し続けるために

3月10日、「抗日戦争勝利記念日と九三学社」をテーマとする座談会が北京で挙行された。その場で、「抗日将校の子孫として、抗日戦争勝利記念日の制定には殊に感じるところがあります」と、中国の著名な抗日軍人馮玉祥の孫である馮丹竜氏は語った。「父は祖父の抗日の物語をしばしば私に聞かせてくれました。中国の抗戦の勝利は生易しいものではなく、子孫としてこの歴史を絶対に忘れてはならないと思います」。また、彼女の所属する「九三学社」はまさに1945年9月3日に中国の学者たちが中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利を祝って成立させた組織で、現在は中国の民主党派の一つとなっている。

記念日と追悼日の制定は、第2次世界大戦の記念と伝承の上で、国際的にはすでに慣例化している。中国のこの決定は、中国で初めて第2次世界大戦の記念を国家的意思として立法によって昇格させたためだけでなく、この措置が中国と世界にとって重要な意義を持つことをはっきりさせたがために、国際社会の広い注目を浴びた。

中国にとっては、中国人民抗日戦争は中国が1840年以後に初めて得た外来侵略者に対する闘争の完全勝利であり、中華民族が衰退から振興に向かう道しるべでもある。九三学社の叢斌中央副主席が言うように、「記念日の制定は、一人ひとりの中国人に過去の主権喪失という屈辱、外来民族により恥辱をこうむった歴史をしっかり記憶させるためです。しかし記憶に刻むということは恨みを忘れないということではなく、中国の人民は平和を愛し、平和を望んでおり、歴史を記憶することにより、はじめて平和的発展の理念を堅持し、われわれの国を壮大にすることができるのです」。

世界にとっても、中国人民は世界の人々と共に、巨大な犠牲を払って反ファシズム闘争の最終的な勝利を勝ち取り、戦後の国際秩序を打ち立てたものである。中国が国家の名のもとでこれを記念するのは、現代の世界の人々にこの悲惨な歴史の教訓を忘れさせず、平和を尊いものとして慈しみ、悲劇を再び起こさないようにするためである。今年の「両会」でも、李克強総理は「政府活動報告」の中で、「第2次世界大戦の勝利の成果と戦後国際秩序を維持し、歴史の流れを逆行させることは決して許さない」と指摘し、中国の世界平和と正義を守る決心を世界に知らしめている。

再認識という重み

中国が中国人民抗日戦争勝利記念日と南京大虐殺犠牲者国家追悼日を制定した後、国内外のメディアはこれに理解や支持を表明する報道を行っている。しかし、一部のメディアは、この中国政府の措置は国内の反日感情をあおるもので、現在の中日関係の悪化を激化させるのではないかと懸念している。

もし、そのように理解するならば、それは中国政府の追悼日と記念日の制定の意味を曲解したことになるだろう。外交学院国際関係研究所教授で日本研究センターの周永生副主任は以下のように分析する。「こういった国家クラスのハイレベルの記念活動は、人々に歴史的事実を広める助けとなり、次の世代が正確な歴史観、価値観を養う助けとなります。また、若い世代が残忍非道な行いを制止し、世界の平和を守り、人類の進歩を推進させるという歴史的重荷を担う助けにもなります」

中国政府がこれらの追悼日と記念日を制定して間もない3月7日、ドイツのガウク大統領がギリシャを訪問した際、北西部にある小さな村を訪問した。第2次大戦中、ナチスがこの村の93人の罪なき人々を殺害したのである。ガウク大統領はこの村の被害者記念碑に献花し、哀悼の意を表明した。彼は「ここで発生したのは残忍で、人倫にもとる行為です。今日、私は恥と痛みを胸に、被害者の家族に深いお詫びを申し上げたいと思います」と語った。その後、彼は傍らにいたギリシャのパプーリアス大統領に語った。「あなたが私に付き添ってここまでいらしてくださったことをとても光栄に思います。私からすれば、私たちが共に過去のこの事実に向き合うことは、われわれの和解の中でも最大の成果の一つなのです」

中国の第2次世界大戦終了から69年後の追悼日と記念日の制定を疑いの目でもって見た人々は、ドイツ大統領の同じく終戦から69年後のお詫びと反省を聞けば、その痛ましい歴史が人類社会に与えた深遠な意義を理解することができるかもしれない。

 

【南京大虐殺】

 1937年12月13日、日本軍が南京市に侵攻した後、6週間にわたって大規模な虐殺、強姦、放火、略奪などの戦争犯罪行為および反人道的行為を行った。第2次世界大戦終了後の極東国際軍事裁判と南京軍事法廷の判決と調査によれば、大虐殺の中で約30万の中国市民と戦争捕虜が日本軍によって殺害され、南京市の三分の一が破壊され、財産的損失は計り知れないという。

【中国人民抗日戦争】

 1937年7月7日~1945年8月15日、中国人民は8年にわたって日本の帝国主義侵略戦争への抵抗を繰り広げ、それは中国史上「中国人民抗日戦争」と呼ばれる。中国は軍人・民間人あわせて3600万人以上もの犠牲者、5600億㌦余りの財産損失と支出という巨大な代価を払って、抗日戦争の最終的勝利を勝ち取った。

 1945年9月2日、日本は無条件降伏書に調印し、第2次世界大戦は終結した。中国の抗日戦争は第2次世界大戦の重要な一部であったため、9月3日が中国人民抗日戦争勝利記念日とされた。

 

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