段月萍氏:最も早期に「証拠を探した人物」

 

一人の女性にとって、50歳という年齢は起業に最適な時期とは言えないが、意外にも段月萍さんはこの年齢から2度目の「転身」となる事業を開始し、今年で31年目の春秋を迎えた。

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の「創始者」の一人として、段月萍さんは多くの「第一回」をスタートさせた。81歳の彼女は現在も尚、この仕事のために忙しく働いている。

日本の文部科学省の教科書改ざんに抗議し、南京大虐殺事件を中国人の記憶に刻むために、1983年末に南京市に「南京大虐殺」歴史資料編集、檔案館建設、記念碑設立指導グループを発足させ、具体的な事務を担当する弁公室を設置した。50歳の段月萍さんは、別の2人と共に、弁公室「3人グループ」を創立とうした。

1980年代初期まで、中国国内の学界では、南京大虐殺に関する歴史研究が極めて少なかった。「手薄な」状況を考慮し、史料収集を担当する段月萍さんは、中国第二歴史檔案館、南京市檔案館、南京市図書館を毎日、往復するしかなかった。そこから、南京大虐殺に関連する計550万字、画像・写真200枚余りに及ぶ檔案史料120種類余りを探し出した。

「生きた証拠」もとても重要だ。記念館建設前に、段月萍さんは5ヶ月にわたる南京大虐殺生存者調査の作業を主宰・展開してきた。彼らは登記表をデザインし、自ら受けた被害や自らの体験、目撃を選択基準として、何度ものスクリーニングを経て、1200人余りの生存者を確定した。

「最も感動した事は、生存者の口述証言と檔案(保管書類)の記載が全て一致したことです。」30年が過ぎたが、段月萍さんの生存者に対する経験や証言は、依然として記憶にあたらしい。「口述と檔案は相互に証左であり、これは南京大虐殺の歴史的真実を充分に証明しています。」と段月萍さんは述べた。

段月萍さんを辛くさせるのは、時間が経つにつれて、生存者は絶えず老いてゆき、当初は1200人余りだったのが、現在では100人余りを残すのみとなったことだ。

記念館で副館長を務めた期間中、段月萍さんは多くの日本人を受け入れた。彼らの中には進歩的な学者、大学、中学、小学校の教師や一般市民がおり、中国侵略日本軍の老兵、東史郎さんもいた。当初の彼らとは同一感をもたなかったところから、しだいに理解していったところまで、段月萍さんは正義を堅持する多くの日本の友人たちとよい友達になった。

段月萍さんは次のように言った。一番忘れられないのは初めて東史郎さんを受け入れたことだった。「正直言って、最初東史郎さんと接することは私の心の中にわだかまりがありました。しょせん彼の手は南京人の鮮血でまみれているんです。」深く接するにつれて、東史郎さんが心から後悔し、特に80歳の高齢者となった後、彼が日本の右翼勢力の圧力に屈服せず、包囲攻撃や暴言、脅威を恐れず、不公正な判決を受けた後もやはり屈服しなかったのを知り、それが多くの南京市民に彼を心の底から許すことに至らせた。

 

 

新華網日本語より 2014年12月8日

 

 

 
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