交流も力になる

章盈盈(山東大学〈威海〉翻訳学院)

 

 
 
2012年の夏、私は高校を卒業し、山東大学に入学した。その日、父が言ったことはいまだに記憶に新しい。

「どこでも構わないが、よりによって日本語を勉強するなんて…」

それまでの経験から、確かに父は日本が嫌いだということが分かっていた。「日本産の製品は使うな」と言ったり、家族と食事をする時に日本を非難したりしていた。そういう頑固な態度を叔母に批判されると、すぐ激しく反論していた。理由は戦争のドラマなどから得た知識だった。だから、自分の娘が日本語科に入ると聞いた瞬間、彼が驚いて失望したとは意外ではなかった。

二年生の時、私は日本へ留学に行った。数ヶ月後に父から電話がかかってきた。彼はくすくす笑いながらこう言った。

「まあ、自分でも考えつかなかったが、この間、日産の車を買うことに決まったぞ。」

「ええ?本当ですか」

「本当だ。それに、まもなく同僚と慰安旅行で日本に行くよ。そこで君と落ち合うこともできるかも」

まるで別人のようになっていた。

父の変化は、叔母たちとの間でもよく話題になっている。しかし、今の父は日本に行った経験があるから、決してそのことで彼女たちと口論はしない。どうして父は変わったのだろう。

私はいつも電話で、日本での楽しい留学生活を彼に話していた。日本人の学生が私のために誕生日パーティーを開いてくれたことや、秋に公園で先生や学生たちと芋煮会をしたこと、ボランティアとして当地の小学校で子供たちと遊んだことなどだ。そのようなことを聞いて、彼は落ち着いて日本のことを考え、理解できるようになったのだろう。父の変化を見ていると、中日関係のことが頭に浮かんでくる。

最近、中日関係は以前ほど緊迫していない。だが、それは必ずしもよくなったというわけではない。

中国のBBSでも、日本の2chでも、人々は自分の同胞と一緒に相手の国を非難している。どんな話題でも、相手を罵倒することが一番大事だと思っているような人が少なくない。だが、そういう人の中に、相手の国の言葉が理解できる人は少なく、相手の国に行ったことがない人が最も多い。本すら読まず、ネットのニュースばかり見て安易な固定観念にとらわれ、大げさにまくし立てている。

以前の父は、故郷から出ることがほとんどなく、外の世界と交流する必要はなかった。今でもそのような人は少なくない。しかし今日では、グローバル化が進んで、中国も急速に発展している。誰でも冷静に外の世界と理解し合うことが必要になってきた。六世紀、唐の時代の中国では、民衆は漢民族以外の文化を受け入れ、日本の人々は中国に渡って文化などを学んでいる。交通と通信が不便だった時でも、文化の交流が滞っていない。だから、インターネットが目覚しく発展している現在、私たちが異文化と交流することを拒む理由はない。交流しなければ、理解し合うことができない。理解し合うことができなければ、お互いに正しく批判することもできないだろう。

幸い、外交関係はそれほどよくなくても、ネットの悪口は多くても、本当の民間交流が盛んになっている。

日本へ旅行に行く中国人も多くなってきた。彼らは日本から学ぶことを見つけたからだ。例えば、私の父はわざわざ日本に行って、私に会ってから様々な物を買って帰国した。今は日産の車を運転して、時々ソニーのイヤホーンを使っている。それと同時に、中国でも経済の発展に伴って様々な活動が行われ、日本人の客を呼び込んでいる。去年、威海で世界ロングディスタンストライアスロン大会が開催された。クラスメートにもボランティアで手伝った人が二人いた。彼らの話によると、日本人の観客も少なくなかったそうだ。

一人の旅行客がしていることは、ただ旅を楽しむということだけである。しかし、多くの人々がそうすれば、新たな力となって政治にも影響を与えることができる。彼らが皆礼儀を守って、相手が皆丁寧に受け入れれば、お互いに対する印象も変わってくるかもしれない。私の父に起こった変化は偶然ではなく、珍しいことでもない。私のような外国語学習者が皆、周りの人にそういう影響を与えていけば、どんな街にも異国のことを理解できる家ができるだろう。それらの「家」と「家」がお互いに理解するようにすれば、「国」と「国」関係もよくなっていくだろう。

私は将来、中日貿易関係の会社で働きたい。その仕事も民間交流によって支えられている。そのため、貿易相手の日本人に優しい中国人の姿を見せ、異文化と交流する道を探しながら、自分なりの努力を続けなければならない。小さな流れも大河となるというように、誰でも積極的に交流すれば、新しい世界もそこから始まるだろう。私はそう信じて、未来の希望に燃えている。

 

【創作のインスピレーションと】

 毎度中日関係と考えてみると、必ず父の姿が浮かんできます。私が日本語を勉強する前、父は日本に全く好意を持っていませんでした。しかし、私が日本語を勉強し始めた後、彼が私のために日本のことを少しずつ理解して、日本に対して持っていた考えも変え、日本のことを認めるようになりました。父は極普通な人です。私は彼のことを見て、人々の嫌悪感の源は固定観念ではないだろうか、と思うようになりました。そうであれば、触れ合うチャンスがあったら、互いの嫌悪感がなくなっていくかもしれません。多くの人にとって、日々盛んになっていく民間交流は、正にそういったチャンスです。そのために、この文章を書き出しました。

 

人民中国インターネット版 2015年12月

 

 

 
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