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人と人を繋ぐ -隣にいることで-

 

武富 波路

私は現在、小学校で外国籍を持つ児童のサポートを主とした支援業務に携わっている。

彼らは小さな身体に未来への大きな可能性を秘めながら、その身体の数十倍、数百倍も不安を抱え、日本という異文化の中で生活している。私にも同じ経験があるため、そんな彼らの不安を和らげ、少しでもサポートができればと私は通訳として、彼らの隣にいる。

私は大学の時に中国語に出逢った。中国語を学ぶ面白さは、次第に私を虜にした。大学院1年目に指導教官より突然、中国へ行くことを言い渡された。私にとっては苦痛へのパスポートに思えた。外国に1人で行くことにとても抵抗があったのだ。中国語を学び、多少理解はしていたが、中国で通じる語学を身に付けていたとは言えなかった。現地で学べるというチャンスを遥かに凌駕した不安が襲ってきた。期間は3週間。私にはとてつもない長さに思えた。「絶対、すぐに帰ってやる。3週間なんていられるもんか。」そう思っていた私は、渡航準備もさほどせずに上海へ向かった。

上海に着き、空港から大学まで行く為に移動をしなければならなかった。当然、移動方法など調べてはいなかった。しかし、「帰国するために大学で手続きをとらなければ。」と思い、私は仕方なくバス停へ向かった。バス停で地図を広げ運転手に尋ねると、どのバスの運転手も大学の近くまで行くと言っていた。私には訳が分からなかった。とりあえず「どれでもいいや。大学まで行くと言っているのだから。何とかなるだろう。」そう思い、私はバスに乗った。バスに乗る時、運転手が「○○で降りるんだよ。そこから、タクシーで行けるから。」と言ったようだったが、私には聞き取れなかった。聞き返すこともできなかったため「はい。」とだけ返事をし、とにかくバスに乗った。

バスは途中のバス停で停車し、そこからある2人組の年配の女性が乗車してきた。2人は私の横に座り、どこへ行くのか尋ねた。私は日本から来た学生で、大学へ行くことを伝えると「○○で降りるといいわよ。」と教えてくれた。さっきのバスの運転手と同様、私はどこで降りるのか分からないまま、とりあえず笑顔でわかったフリをした。私はバスに揺られながら、次第に緊張と疲労からバスの中で寝てしまった。

しばらくして、「起きて!起きて!」と体を揺すられた。慌てて起きると、年配の女性2人組が「ここで降りなさい。ここからタクシーよ!大学に行くんでしょ?」と言った。運転手も私が起きるのを待っていてくれたようだった。彼女たちは私がバスを降りてしまうまでずっと「ここからタクシーよ!いい?頑張って!」と言い続けてくれた。

たった数十分前にたまたまバスに乗っただけ。たまたま隣になっただけ。一言二言交わしただけ。それなのに私のことを気にかけてくれたのだ。これが十数年たった今でも記憶に残っている。外国人である私に、中国も日本も関係なく人としての繋がりを感じさせた瞬間だった。人としての繋がりに国境は関係ない。相手を思えば、どんな人であっても、その人のために行動することができるということを私はこの出来事から教えられた気がする。

この出逢いがきっかけとなり、私は当初の予想とは裏腹に、上海に6週間滞在することになった。お陰で、何事にも代えられない経験を私は中国で体験することができた。あの出来事がなかったら、もしかすると私はすぐに帰国していたかもしれないと、今でも思う。そして、上海で2人組の女性と出逢っていなければ、今の職業にも出逢うことはなかっただろう。

私の隣にはいつも中国の子どもたちがいる。これからは、目の前にいる中国の子どもと私との関係に留まらず、日本の子どもと中国の子どもがクラスの仲間として支え合えるように、支援員としての役目を果たしていきたいと思う。

そして、この子どもたちが大人になった時、国の垣根を越え、人と人ととして協力し合える関係を築いてほしいと切に願う。

 

人民中国インターネット版 2016年3月

 

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