珠江の魅力

 

曲がりくねって流れる珠江は南国の商都・広州の開放と包容を見つめてきた(写真提供・広州市党委員会宣伝部) 

 広州は、北京や上海と並ぶ中国三大都市の一つだ。中国大陸の南方、広東省中南部に位置する。広州の人々にとって、珠江は母なる川だ。珠江水系に含まれる大小合わせて数百の支流は、広州のガジュマルの木が生い茂るように枝分かれし、まるで広州文化の神髄のように、多元的で、包容力と含蓄があり、堅苦しさがなく自然だ。

  夕方の猟徳大橋は交通量が多い。橋の歩道の一角に、カメラの三脚がいくつか並んでいた。徐々に暗くなり街の明かりがともると、遠くの広州タワーが色とりどりに変化しながら光り始め、タワー対岸の珠江新城では、立ち並ぶ近代的な高層ビルの明かりが輝き、橋の両側の水面も反射した夜景できらきらと色彩に満ちあふれた。珠江の夜景に魅せられたカメラ愛好者たちがこの貴重な瞬間をとらえようと、ピントを合わせて次々にシャッターを切る…。

広州の人々にとって、母なる川としての珠江の地位は揺るぎないものだ。西江や北江、東江などの流れが集まったこの川は、全長2000キロ余り、中国では長江と黄河に次ぐ第三の大河で、中国南方では最大の河川である。クモの巣のように覆われた流域は豊かな珠江デルタを形成し、中国改革開放の前線陣地として、中国で経済が最も発展したエリアの一つとなった。

珠江は広州から海に流れ込む。地理的優位性により、秦漢時代から広州は商業貿易の集散地となった。漢武帝(在位前140年~前87年)は広州を起点として、遠洋航海貿易を展開し、船隊は黄金や絹などの物品を携えて、南海から東南アジアを経て、現在のスリランカに達し、その時に開拓された航海ルートは海のシルクロードの発端となった。唐代には、広州はすでに中国第一の大港となっていた。広州からペルシャ湾各国に至る「広州通海夷道」は、全長およそ1万4000キロ、当時世界最長の国際航路だった。その頃、広州の港は非常に混雑していて、珠江の川面では「巨大な船が高くそびえ、多くの船が先を争う」というようなにぎやかな景色が見られた。  

高さ488メートルの広州タワーの展望台からは、珠江の景色を余すところなく一望できる。街を取り囲む珠江水系は隙間なく広がって、街が水の中にあり、水が街の中にあるような広州独特の景観をつくり出している。昼の珠江が広くどっしりと雄大であるなら、夜の珠江は眠りの森の美女のようだ。ゆっくりと進む遊覧船に乗ると、珠江両岸の夜景に誘われる。「小蛮腰(くびれて美しい女性のウエスト)」の愛称を持つ広州タワー、珠江の流れと呼応する広州大橋や猟徳大橋、世界500強企業が集まる珠江新城…人の心を動かすのは美しい景色だけではない。珠江には、これまで受け継いできた気迫もあるのだ。

 

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