西漢南越王博物館

 

広州の古代史を正確に知りたいなら、大多数の広州人は西漢南越王博物館を薦めるはずだ。以前、日本の海部俊樹元総理も参観し、「感動歴史(歴史に感動する)」という言葉を残した。越秀公園の正門を出て、徒歩10分ほどで博物館の重厚な赤砂岩の建築が目に入る。この建物の後ろにある丘には、かつて神秘的な古い墓が隠されていた。1983年の驚くべき発見により、その本当の姿が徐々に現れてきた。 

墓の主は前漢南越国の第二代の王、趙昧(?~前122年)で、第一代の王、趙佗(およそ前240年~前137年)の孫にあたる。南越国と広州はどのような関係なのか? その説明には2000年以上前に建設された番禹城までさかのぼる必要がある。番禹城は現在の広州だ。紀元前214年、秦の始皇帝は嶺南統一の大業を成し遂げ、今の広東一帯に南海郡を設け、番禹を郡治(省都に相当)所在地とした。秦が滅びると、南海郡最高長官の任囂(?~前206年)の部下だった趙佗は中原の大乱に乗じて、前203年、南越国を建てて番禹を都とした。ここに南越国の歴史の幕が上がった。 

幸運にも2000年以上の間、南越王の墓は盗掘されることがなかった。考古発掘が終わり、今では墓室に入って、その配置や副葬品から当時の南越王国の礼制や風俗を知ることができる。博物館に展示された玉器や屏風などの文物からは、漢や越、楚の多文化融合を感じられる。また、銀製の箱などの舶来品は南越国と西アジアやアフリカなどとの文化交流を反映し、広州が中国海外貿易の重要港および海のシルクロード発祥の地の一つであるという重要な物証となっている。

 

  西漢南越王博物館
  住所/広東省広州市越秀区解放北路867号
  時間/9:00~15:00
  交通/地下鉄2号線「越秀公園」駅E出口すぐ
  電話/(020)36182920

 

 

 

 

 

 

 

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