東海の龍王を祭る

 

岱山の民間習俗――祭海(写真提供・邱宏方)

 

大規模で集団的な祭海の前にも、岱山にはさらに古くから伝わる個々の漁民の祭がある。岱山県の文学芸術界連合会(文連)副主席、無形文化遺産保護センターの邱宏方主任(55)は幼い頃に見た情景を想い浮かべ、「以前の祭海は基本的に一家一戸を主体とするか、一隻を一つの単位にするか、或いは船主の所有する数隻をまとめました。一年に3回、海開き、謝洋と年越しに行っていました。春節の時には沿海漁船上の爆竹の音が明け方から夜まで絶え間なく続きます」。岱山の一部の漁村は今も伝統的な祭海儀式を踏襲している。

その起源を話せば、邱主任は海祭りと漁業の発展は密接で分けることはできず、舟山に漁民が住んでから祭海活動が始まったと考える。「舟山の漁業の始まりは唐代で、もともとは干潟や近海の小規模な作業だったが、宋代になるとだんだん近海での漁が始まった。明、清代の前後2回に海禁が実施されて全ての島民は陸上に移住し、文化も中断した。清の康熙帝27年(1688年)になって、舟山群島は全面的に海禁が解かれた。以前の住民の子孫と新しい住民が島に定住することになった。現在の海の祭りの儀式は基本的に第2次海禁後に形成されたものだ。

中国東南の沿海海洋祭祀活動が広まって、福建と広東の多くが媽祖を崇拝するように、岱山の人々は東海龍王を崇拝した。「龍信仰は数千年の歴史があり、人々の心に深く根をおろしている。神話の中では、東海龍王は四海龍王の長で海中で水族を治める王、その手下のエビ兵カニ将が、ちょうど漁民の捕獲対象だ。舟山は東海にあるため、漁民は自然に東海龍王と漁業生産を関係づけるようになった」と邱主任は紹介する。

龍王信仰は舟山の人々が媽祖を信じないことを意味するのではなく、龍王は豊作を司り、海上の安全はやはり媽祖信仰が頼りだ。邱主任は舟山群島の海洋文化の源の多くは大陸にあり、特に東部沿海、北は遼寧、南は広東、近くは福建、江蘇と、比較的強い包容性をもっていると見ている。「漁期には皆舟山に集まってきて魚を取り、各自の習俗を持ち寄ってくる。『海は川を受け入れて許容する大きさを持つ』、舟山の海洋文化は正に各地の文化が融合した結果だ」

龍王に献上する酒をかつぐ岱山の漁民、人々の平和と天候の安全を祈る

 

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