「一期一会」

 

                            和田栞奈

 漂白された街並みの、ぱっとしない風景。歪んだ空気に揺れる街路樹は灰色の埃を被っている。白いガードレールはでこぼこ凹み、茶色い錆が顔を出す。「中国ってどんな所だろう。」と想いを馳せる私の頭に描かれる画はどれも、薄く濁った湖面に沈んでいった。相手国に対する偏った意識の浸透が、日中友好社会の実現の障壁になっている旨の作文を書き、これが運良く入賞して、中国研修旅行に参加できるのだが、フラットな眼差しを提唱していた自分こそが、反中の呪縛に縛られた犠牲者の好例のような気がして嫌気が差していた。私の1週間の旅はこうして始まった。

 開き直って楽しむ事に決めた。中国に来たのは初めてだし、アジア文化との交流には前から興味があったのだから。能天気な私は、自分自身の心を未知との遭遇に対する期待感でいっぱいに満たした。私は単純な女なのかもしれない。

 中国に到着した次の日は、中国人民大学という所の何やら頭の良い大学生と交流したのだが、正直あまり頭に入ってこなかった。どうやら、私の頭のベクトルは、観光旅行に完全シフトしたようだった。この時間、私のスイッチはオフになった。

 翌日、人民中国雑誌社に見学に行ったが、感想は特に持てなかった。なんだか小学校の時の社会科見学を再体験しているようで、昼ごはんのことばっかり計算している自分が情けなかった。その日の寝床は寝台列車だった。ルームメイト全員が男性で、場所も肩身も実に狭かった。「今日は我慢だ。」と覚悟を決めた時、顔の怖い車掌さんがやって来た。真顔でぼそっと何かを言った車掌さんは、何事もなかったかのように部屋を後にした。私は恐怖で顔をひきつらせながら、同室の中国語を心得ている大学生にその意味を聞いた。大学生は微笑みながら、「荷物の盗難には気をつけてねって言ってくれたんだよ。」と教えてくれた。ドアの方を振り返った私は、この地にほのかに漂う温かな香りを感じた気がした。「笑顔が欲しいな。」私はくすりと笑った。

 4日目は文化遺産をめぐった。痩西湖の水は周囲の木々を飲み込むほどの緑に染まり、奇妙な非現実感を生む。その空気の中では、周囲の音が不自然な響き方をした。私の砂を踏みしめる足音は、距離や響きにとらわれず、耳元で大きな音を立ていた。乾いた音がばらばらと近づいて来ているのを感じた小動物たちは、肩を並べて息をひそめた。時の流れを静かに緩める伝統的空間は、私の心の回転をゆっくりと止め、眼前に広がる美しい景色が、私の胸に新しい空気を送り込んだ。故郷の海で、潮の流れが変わる時もこんな匂いがしていた。

 その日の夜私は、この研修で出会った友人と近隣の散策に出かけた。人通りの少ない薄暗い通りを歩いていると、ある店にたどり着いた。ぼんやりと浮き上がるその明かりに怪しささえ感じたが、意を決して入ってみた。入るとすぐに店員が駆け寄って来て、中国語でけたたましく話しかけてきた。私たちは、その語勢と理解できない中国語に、戸惑いと同時に恐怖を感じた。中国語を学び始めてまだ日の浅い私は、店員の言葉を理解できず、店員の威圧感から勝手に想像して、私が日本人だからという理由で店から追い出されるのだと早とちりしたからだ。すると、店員が牛乳パックとペンを差し出してきた。何を書いていいかわからず、とりあえず『我是日本人』と自己紹介をした。すると、『你需什么?』と店員が書いて見せてきたのだが、どこか見覚えのある文章だった。その時私は、この店員は私たちが何か困っているのではないか心配して必死に話しかけてくれていたのだと理解した。というのも、大学の中国語の授業で使う教科書のどこかでその文言を目にしていたからだ。「あなたは何が必要ですか。」言葉が通じない外国人にこれほどまで必死になってくれる中国人に始めて出会ったことは、ここ数日間、私の中で病のように広がっていた新たな想いに輪郭を与えた。私の心で、中国に対する考え方がプラスに変わる音がした。引き潮のあとの潮鳴りが胸を打つように。

 メディアの情報と先入観だけで構成された中国のイメージが一気に崩され、親中的感情が芽生えたのだ。この日を境に、中国の好ましくないと思っていた所のさえも、自己の中で精製し良い面として還元できるようになったことは、これらを象徴する大きな変化とも言えよう。例えば、あれほど気に障った中国人独特の話口調も、最も人口が多い当該国では、騒音や雑音に負けずに自分の主張をはっきり言わなければ相手に伝わらないからであり、中国語を学んでいるとよく分かるのだが、中国語ははっきり発音しなければ意味が伝わらないからである、という民族性等に依拠した理由で受け入れることができるようになっていたのだ。

 6日目は主に、魯迅と出会った1日だった。記念館などをめぐり、なんだか夏目漱石に似ているな、などと考えて過ごしていた。ともに西洋文化を積極的に摂取しようと努め、各国の近代国家の枠組み構築に大きく貢献した。彼らは、新たな思想に臆することなく挑戦し先入観なく触れ合うことで、その真理を我がものとした。日中友好という舞台において、彼らの時代で言う西洋由来の先進万物とは友好そのものなのかもしれない。相手国に対する凝り固まったドグマの檻から抜け出し新しい見方を見出した時、日中関係を好転させる新たな時代の枠組みの構築が始まるだろう。それは、日中両国にとどまらず、世界規模の大きな希望を生み出すに違いない。中国研修旅行で最後のツアー日に、イベント主催者がここへ私たちを連れて来たのにはそういうメッセージが込められていたのではないかと思った。

 明るく煌めく摩天楼を引き立てる漆黒の空は、大きな海を越えて、ここ日本の美しき夜景へ導びかれる。ひとつの綺麗な星空の下、共存することを運命づけられた私たちは、数多の軋轢を越えて親しくあるべき定めであり、そして、それを先駆ける若年層の筆頭としての使命感を己に課し、日中友好の架け橋となるのが私の役割である。

 


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