「新郷賢」の帰郷 人材起用における中国共産党の知恵

 

広大な中国の農村部は昔から社会発展の基礎であった。中国共産党中央委員会が13年間連続で「三農問題」(農村、農業、農民)をテーマとする1号文書を公布していることからも農村統治の重要性が分かる。しかし、改革開放以来、都市部はますます繁栄し、農村部は衰退の一途をたどっている。農村部では人口比率がいびつになり、経済が衰退し、郷土文化も崩壊し、都市部と農村部の発展格差がますます大きくなった。その主な原因の一つは、村から「優秀な人材」が急激に流出したことにある。つまり、新「郷賢(農村出身の成功者。知識や経験、徳望がある人々)」育成メカニズムの不備により人材が「欠乏」する状態になってしまった。

中国の社会人類学者・費孝通は著書の『郷土中国』に「末端から見れば、中国の社会は郷土的なものだ」と書いた。これは中国の数千年の農耕文化でつくられた特徴で、末端統治に参照すべき重要な根拠でもある。農村部の建設は数十年にわたる陣痛を経験しており、財政的支援や農村部への科学技術の普及などの政策を実施しても、経済発展の波における労働力流出による農村部の「人材過疎化」を阻止できなかった。また、農村部から出たエリートたちが農村に戻って、農村を支援するケースはさらに少ない。道が良くても立派な案内者がいなければ歩行者は少なくなる一方だがこのたび、中国共産党は農村部建設の実践の中から新しい道を探し当てた。『第13次五カ年計画(2016~2020年)』で提起した「新郷賢文化育成」という議題は深い実践背景を有し、期待に値する将来性がある。

河南省輝県市裴寨コミュニティに訪れた人々は今の農村の良い暮らしぶりを見て、ここが昔どれほど貧しかったのか想像もできないだろう。河南省と山西省の境界にある太行山の南東山麓に位置するこの村落は、昔から厳しい自然環境にあった。住民は先祖代々そこでの貧しい暮らしに慣れ、北西からやって来る身を切られるような寒風にさらされ、豊作を望むような環境ではなく、入浴すら贅沢だった。21世紀になってからの数年間も、農民たちはまだれんが造りの部屋に住み、穴にたまった水を飲んでいた。過酷な生活のすべての原因は水がないということ、さらに正確に言えば、「井戸を掘る人」が欠けていたということだった。

2005年、農村出身の企業家・裴春亮は村に戻って村主任を担当し、10年間で農村部末端統治の重要ポストにおける中心人物の役割を人々に示した。裴春亮の指揮の下、裴寨で発生した天と地がひっくり返るような変化は人々を驚かせた。彼は合わせて1億8000万元(約30億円)を使い、郷里に報いた。井戸を掘り、貯水池を造り、水路を引き、ダムを整備することによって、農民たちの飲用水問題を解決した。野菜と花の栽培地と商店街を建設し、宝泉観光地の開発を通じて、村の人々の安定した暮らしを約束した。また、幼稚園や小学校を建設して、村の子どもたちを近所に通わせた。裴寨が所属する張村郷の党委員会と政府はこの実績を見て、裴寨をモデルとする新型農民住宅コミュニティを建設し、全郷11の村の農民をそのコミュニティに住まわせることを決定した。裴春亮は「一人が豊かになっただけでは裕福とは言えない。全村の人々が豊かになっても裕福とは言えない。隣の村まで豊かにさせてようやく裕福と言える」という言葉を実現したのである。

裴寨コミュニティの10年間の発展の道のりを振り返ってみると、当時からは想像もできない急成長を果たした。その原因を詳しく調べてみると、裴春亮を代表とする農村出身のエリートの才能と見識、さらに中国共産党による末端統治の巧妙な手法と人事に関する独自の知恵が背景にあることがわかる。

「郷賢」は農村に生まれ、都市で奮闘し、出世した後はまた帰郷して、遅れている農村の発展に貢献すべきだ。費孝通は「郷賢文化は巨大な中国社会を数千年にわたって正常的に運行させる末端の力である」と言った。「新郷賢」といわれる人々は多くの役割を担い、新しい時代の下で、より多くの職務と責任を与えられた。彼らは旧来の「郷賢」の積極的な役割を継続して果たし、美徳を重んじ、人々の心を感化するだけでなく、村の人々をリードし、村全体の物質文明、精神文明、政治文明、社会文明とエコ文明を全面的に発展させる役割を持っている。

「新郷賢」の多くは成功した農村出身の企業家である。事業において成功した彼らは一方では故郷への深い愛着を持つ。これをもとに中国共産党は二つの発展の道を考案した。一つは改革開放によって富をつくり、農村出身の能力のある人間が都市部に進出することを激励する道。もう一つは末端党組織建設の強化によって、都市部でエリートになったこれらの人々を帰郷させるよう指導する道だ。

裴春亮の経歴はこの二つの道の役割をはっきり示した。彼は貧しい農村の出身だが、改革開放でよいチャンスに恵まれた。1986年、チャレンジ精神があった彼はれんが工場の肉体労働者から、電気製品の修理工、理容師、飲食店や写真館の経営などさまざまな経験をし、90年代初めには故郷から遠く離れた北京で花崗岩の販売をし始め、十数年の奮闘を経て、2006年に総資産が数十億元に上る春江集団を創立した。20年にわたる事業の経験によって、彼は貧困から脱し、また同郷の人間に報いる夢を実現する能力を持つことができた。2005年、裴寨の村民委員会改選の時、彼は全会一致で新しい村主任に選ばれた。それから彼は裴寨に戻り、新しい裴寨を建設する使命を果たし始めた。 (呂節)

 

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