多くの偉人を育てた岳麓書院

 

精神のよりどころ

岳麓書院は南宋時代の発展のピークの後、元・明時代にも開講していたが、順調ではなかった。元代末期の戦乱で、多数の書院が破壊された。明代になると、政府は官学の発展に力を入れ、書院の復興を進めなかった。それから100年近く、書院の復興は数えるほどしかなく、多くは誰にも知られず寂れており、岳麓書院も「建物も垣根も壊れ、雑草が生い茂る中でひっそりと」していた。しかし、明代中期以降、心学の思潮が興ると、王陽明(1472~1529年)とその弟子たちが岳麓書院に来て講義をするようになった。王陽明は「致良知(良知を最大限に発揮させる)」という学説を唱え、「知行合一(知識と行為は一体であるということ)」と「知行並進(知識と行為が同時に実践されること)」を強調した。教育において、彼は古代の教学理論を豊かにし、岳麓書院のさらなる発展を促進し、自由な講義の雰囲気をそこに取り戻した。

 岳麓書院にある「朱張会講」の塑像。今でも朱熹と張栻という2人の偉大な儒者の息遣いが伝わってきて、自然と畏敬の念が湧いてくる

内憂外患の状況に陥った清代中期以降、岳麓書院で学ぶ学生から、思想家や偉大な文化人、エリート政治家・軍人など、傑出した人材が絶えず現れた。学生だった魏源は最も早く改革開放を提唱し、「外国の優れた技術を学んで外国を制する」ということを訴えた。岳麓書院を卒業した曽国藩や左宗棠などは、洋務運動の推進を大いに提唱し、後世の政治や経済、軍事、文化などの各分野に大きな影響を与えた。偉大な指導者である毛沢東も青年時代、岳麓書院の半学斎に住んでいたことがある。岳麓書院が育成した人材の多さは本当にまれに見るほどで、まさに正門に掲げられた「惟楚有才,于斯為盛(楚には人材がいて、ここに集まっている)」という対聯の通りだ。

 鄧洪波教授(中央)が毛筆で文字を書きながら、学生たちに岳麓書院の悠久の歴史を語っている

喜ばしいことに、現在、この「千年の学府」は湖南大学の管轄となり、伝統国学の教学・研究基地として、人材育成や学術研究の機能を依然として果たしている。同院中国書院研究センターの鄧洪波教授(56)は次のように話す。「岳麓書院の千年にわたる学校運営の歴史は、湖湘文化の形成と発展の輝かしいプロセスでもあります。書院が提唱する『経世致用』『求真務実(真実を求め実践に務める)』の精神は、湖湘文化の核心的内容であり、また湖南人の性格についての総括ともいえます。このように見ると、岳麓書院は湖南人の精神のよりどころであるともいえますね」

 

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岳麓書院

所在地/長沙市岳麓区麓山路273号

交通/路線バス63番、106番、132番などで「市四医院」停留所下車、東大門から入る。または、路線バス202番、旅1番、旅3番などで「岳麓山南」停留所下車、南大門から入る

電話/(0731)88823764

時間/7:30~18:00(5月1日~10月31日) 8:00~17:30(11月1日~4月30日)

料金/岳麓山観光エリアは無料、岳麓書院は50元/人

 

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