日本との共同研究望む声

 「太陽神鳥」は成都市の市章であり、「中国文化遺産」のシンボルマークになっている(写真提供・金沙遺跡博物館)

燃える太陽の周りを12本の火炎が脈打って回転し、4羽の大きな鳥がそれを囲むように羽ばたく。直径約12㍉の黄金の装飾品が金沙遺跡から出土した有名な「太陽神鳥」だ。これには古蜀人の太陽神鳥と太陽に対する崇拝と称賛が表れている。

この精妙な「太陽神鳥」は3000年の歴史を持つ金沙遺跡と壮麗な古蜀文明のシンボルになっているだけではなく、成都市の市章となっており、シンボルとして至るところで目にすることができる。「太陽神鳥は今日の審美眼にもかなうロマンあふれるデザインで、非常に洗練されています。現在の成都の人々のロマンチックで開放的で陽気な文化遺伝子はきっと太陽神鳥から来ているものでしょう」と話す王館長は金沙遺跡博物館と成都という都市を関連付けて、このような見解を述べた。「成都の古代と現代は強く結ばれており、この博物館はそれらをつなぐ絆といえます」

遺跡保護の面において金沙遺跡博物館は独自の方法を取っている。遺跡発掘が10分の1しか進んでいない段階で作業を止め、博物館を建てたのだ。今でも重要な遺跡の9割以上が地下に眠ったままだ。その理由について王館長はほほ笑みながらこう話してくれた。「今は未来に向けて遺産を残さなければなりません。考古学者の探険や発掘への欲求を満たすだけでは駄目で、遺産の保護を第一に考えるべきです。これには日本の学者を含む、国外の多くの文化遺産保護の専門家も同意見です」。未来へ向けた協力と国際的な取り組みの可能性に対し、王館長は希望を抱いている。「成都の考古学は今まさに黄金時代に入ったと思っています。遺跡は未来の考古学者が研究に訪れるのを待っているでしょう。われわれも日本の学者の参加を歓迎します。日本人と日本の学術界は中国文明に対し、特に古代の長江文明にたいへん興味を持っていると個人的に感じています。中日間ではすでに合同研究によって一定の成果を挙げており、将来はその絆をさらに強くし、地域文明の発展に影響を与えた重要な遺跡を共同で発掘できることを期待しています」

 

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