北京大学の教壇に立つ

2020-03-26 16:54:06

馬場公彦=文

 北京大学の授業のシステムは日本の大学と大差はない。年度の始まりは9月だが、1学期は15回ほどで、最後に試験がある。1回の授業は10分の休憩を挟んで100分。私の場合は100分の授業を週4コマ担当することになっている。授業担当の負担はさほどではないが、休講や遅刻は厳しく戒められている。

 北京大に限ってのことかもしれないが、カリキュラムや教材は全面的に教員の裁量に委ねられている。学生側も聴講は自由で、各学術分野一流の学者たちの授業が学科を問わずフリーで受講できる。キャンパス内の建物は、「辨公楼(事務・研究室棟)」と「教学楼(講義棟)」に分かれていて、教学楼の方はあらゆる学科の授業が相乗りで使われていることも、オープンな聴講を可能にしてくれる。私も赴任して10日後に教壇に立った。教材もカリキュラムも自前で、中国語の腕前もおぼつかない。そんな不安は、まだ20歳そこそこの初々しく人懐っこい学生たちの表情を見た途端に吹っ飛んだ。登壇してまず最初にすることは、「微信(中国版LINE)」で受講生たちの「群聊(チャットグループ)」を作成すること。教材の配布、連絡事項、受講生とのやり取りは全て「微信」経由で行うことになる。

 学部3年生の「高年級日語(上級日本語)」はさすがに中国語での補足が必要だ。大学院生の方は、ほぼ日本語オンリーで授業が成り立つ。修士2年生は「中日文化語境与語際翻訳」という科目名で、要は中文和訳。学生たちには開口一番に言った。「食わず嫌いではいけません。提出されたいかなる作品にも挑戦し、日本で刊行して日本人がお金を出して読んでくれる文章に仕上げてみてください」

 梁啓超・周作人・郭沫若・郁達夫から現代作家の余華・莫言まで、前後120年に及ぶ作品群を翻訳させた。AIを使った機械翻訳に太刀打ちするには、脳をフル稼働して文脈の翻訳技能を磨くしかないのである。

 修士1年生は「高級伝媒日語」という科目。中国の大学は日本と違ってこの「伝媒(メディア)」あるいは「新聞(ニュース)」という学科を重視しており、学部として擁する総合大学も少なくない。私の授業では『朝日新聞』の記事、テレビ・映画のドキュメンタリーを教材として、日本人が戦争と戦後を体験する中で培ってきた思想を伝えることに力点を置いた。毎回、石橋湛山から石牟礼道子まで戦後の主な評論作品について、1000字ほどの要約と感想を日本語で書かせることを宿題にした。かなりの難行だが、一人残らず、10回分の宿題をこなした。

 全国各地から集まってきた俊秀たちが、日中の文化の懸け橋になれるよう必死に学んでいる。その真摯な姿は、教壇に立っていてもしばしば胸が熱くなった。「九〇后(90年代生まれ)」の彼ら彼女らは、新中国成立以来70年間の国家の成果や将来について、誇りと自信を持っている。無理もない。生まれてから今まで、成長と発展の輝かしい成果と、威風堂々の国威に育まれてきたのである。

 だからこそ、周囲の国々が祝福し信頼を集める国になってほしい。そのためには隣国の歴史や実情を正確に知った上で交流する配慮と寛容な風度を養ってほしい。挫折知らずの「九〇后」ではあるが、成功に陶酔し域外に目を閉ざすような人間にならないように。日本への謙虚な姿勢と好奇心をいつまでも持ち続けてほしい。

 

昨年1226日、首都師範大学での出前講義

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