お茶と茶室とお酒と居酒屋

2021-07-16 13:13:39

馬場公彦=文

中国では清明節(毎年4月上旬)を過ぎたあたりから、街中に新茶が出回る。龍井茶や碧螺春といった緑茶のおいしい季節となる。とりわけ高級茶葉は自家用というよりは贈答用で、土産を持参するときは豪華な箱に収められたお茶が好まれる。いただいたお茶の封を開けて香りを確かめ、お湯を注いで第一煎の風味を味わうときの満ち足りた感覚が私にも少し分かるようになってきた。

5月のとある休日、中国茶と茶芸の研究家で、「多聊茶」という全国組織のサロンを主宰する楊多傑さんに招かれて、日中の茶の習俗習慣を巡る文化比較について話をする機会があった。

日本では唐代に茶が伝来したというが、本格的に導入されたのは宋代で、鎌倉時代の臨済宗の開祖、栄西法師が茶の種を持ち帰り、宇治などに植え、抹茶を点じて飲む習慣が武士階級を中心に広まった。

その後、喫茶の習慣はもっぱら煎茶となり現在に至る。抹茶は茶室で茶道の作法にのっとって賞味するほかは、甘味喫茶くらいでしかお目にかからない。

日本の茶道のイメージは、茶の導入と普及の歴史的背景から、質素で厳格な印象が強い。さらに現在、決まりごとに縛られた堅苦しい印象が付いて回る。これは、現在の茶道の愛好者が若い女性の間に集中しており、花嫁修業のためのしつけとして、母親に勧められて習いに行かされていることによると思う。日常の生活起居の身のこなし方から、人間関係の礼節に至るまで、茶道の作法を通して会得し、控えめで慎ましやかな日本女性の美徳を備えてほしいというのが母親の願いである。

だが、茶道は元来、茶室において集った茶人が、老若男女を問わず、一つの茶器で主人の点じた同じ茶の湯を分かち合うことで、一期一会の清らかで和やかな気分に浸るための客をもてなす芸術である。茶室はそこに招かれた茶人を平等にもてなす平和な空間であるから、武士は腰に差した刀を外して軒下の刀架に掛けてから、にじり口をくぐらなければならない。

岡倉天心が『茶の本』の中でいうように、茶の湯には自由闊達で解放感に満ちた道教的境地と、質朴厳格な禅宗的境地の二つの思想的流れが絡まっている。日本では茶道を集大成した千利休の提唱した草庵茶や侘茶が重んじられるように、禅宗的な趣きのほうが強い。それに対して中国の茶館における茶芸は、道教的な趣きが濃厚である。

この自由闊達な雰囲気は今の茶道には失われてしまっているが、満喫することができる特別の空間がある。それは居酒屋である。居酒屋は茶室のような民家建築が好まれ、中は暗く柔らかな光に包まれ、主人は酒客たちに酒と肴と会話でゆったりと気ままな愉楽に浸ってもらうもてなしをする。酒客は茶室に入るときの武士と同様、会社や役所などの職場での肩書を脱ぎ捨てて、ひけらかさず、愚痴を言わず、楽しい雰囲気を皆で分かち合えるような上手なお酒の飲み方を心掛ける。むろんカウンターに座り一人静かに悠然自適の夢幻境に浸る独酌もよい。

中国の茶館もまた、老舎の話劇に出てくるように、悠然とした気分を味わいながらも「莫談国事(政治を議論すべからず)」というように、居酒屋と同様の戒律がある。一杯のお茶は、日常生活に安静を保ち、閑適のひとときを味わうための生活の工夫である。茶道の極意は「忙中閑あり」にこそある。

 

5月15日、中国書店にて行われた「茶の品格――中日茶俗文化対談」

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