競争を避ける若者の生き方

2021-08-27 16:25:55

馬場公彦=文

北京大学の学生たちと話をしていると、彼らがよく口にするのは「内巻」という言葉だ。「試験でいい点数を取り、いい成績で卒業し、いい就職先を見つけるためには、ひたすら勉強を続けるしかない。『内巻』ですから」

「内巻」は英語の「involution」の訳語で、もともとは人類学者のクリフォード・ギアツがジャワ島の農村での調査をもとに、人口稠密化により、限られた耕地の中で内向的発展の農業開発を志向するしかない状態を指す。それが数年前、異常なほど勉学に打ち込む清華大学学生の写真が反響を呼んで、内部競争に巻き込まれる学生たちのキャッチ・ワードとなっている。

その清華大学の気鋭の社会学者厳飛さんと「内巻」現象を巡って議論を交わす機会があった(主催は新経典文化股份有限公司)。中国の大学では卒業後の限られた就職先のポストに対し、学生数は増加の一途をたどる。学生の間では卒業論文の質ではなく、書いた分量で競うような風潮が見られるという。日本でも「猛烈社員」「社畜」などと呼ばれた頃は、労働の質ではなく、残業時間を競うような悪習があった。

中国は社会主義だから、発展は遅いけど貧富の格差はない。職場やコミュニティー内で生活が完結する単位社会だから、福祉は行き届いて安定している。というのは40年前までの毛沢東時代の話だ。改革開放以後の中国は激烈な競争から逃れられないストレス社会だ。

誰よりも熱心に勉強しなければ、一発勝負の全国統一大学入学試験「高考」で名門大学には入れない。入ってからも勉強し続けなければ落ちこぼれてしまうかもしれない。頑張り続けるしか生き残る道はないのである。

自分が「内巻」のただ中にあることを認める当事者には、ある共通項がある。「90後」(1990年代生まれ)といわれる30代以下の青年、過密大都市に居住する大学生たち。市場経済による高度成長期に生まれ、住居費や教育費の高騰によって、外部拡大の余地のなくなった大都市に住み、上位ランクを目指す競争の選手に選ばれた若者たちだ。

今のこの「内巻」は学生のみならず、高給で人気のIT業界の若手社員ばかりか、大都市の「ママ友」の間でも使われて始めているという。IT企業は「996」(朝の9時から夜の9時まで週6日勤務)の過労問題があり、今や大都市の幼稚園の入園条件に両親の高学歴が課せられるようになった。

彼らの間で、今新たな流行語が生まれている。頑張らずに「摸魚(さぼる、油を売る)」で対抗し、「躺平(寝そべり)主義」を決め込み、「佛系青年(人と争わずあくせくしないお釈迦様のようなキャラの若者)」を装う。

確かに日本にもベビーブーマーの団塊の世代の後に、「しらけ世代」が生まれ、そこから「草食系男子」や「オタク」が派生した。低成長の安定社会となった日本は、「清貧」「断捨離」がライフスタイルとして定着しつつある低欲望社会だ。

だが厳さんによると「佛系青年」の本音には欲望がたぎっているが、どうせかないっこないという諦観と自嘲があるという。「摸魚」「躺平」「佛系」は「内巻」への反動現象であり、レースからの戦線離脱や戦意喪失のふりをした自己防衛的な処世術なのであろう。

競争社会がいけないのではない。運動会の駆けっこで足の速い子遅い子ごとに競わせたり、果ては足の遅いのも個性だから順位すらつけないという「世界に一つの花」のような今の日本社会の風潮は行き過ぎだと思う。競争がなければ頑張らないし頑張らなければ成長はない。必要なのは、競争する目標が一つだけではなく、選抜方法と評価基準を複数抱えた多元的価値観を許容する社会のゆとりだと思う。

 

『驚呆了! 原来這就是社会学(原題『社会学用語図鑑』)』の交流会で厳飛さんと対談。7月2日、PAGE ONE五道口店にて(写真提供・筆者)

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