キャンパスで自由の風に吹かれて

2022-08-05 11:17:00

馬場公彦=文 

5月に入って北京の防疫措置は時々刻々厳しさを増している。地下鉄は乗降できない駅が増え、食堂は全面休業し、住んでいる社区では侵入防止の鉄板で空間をふさぎ、住民同士の接触を減らすよう導線が設定された。北京大学は全面的にオンライン授業に切り替わり、毎日PCR検査が義務付けられ、許可なしでは学生は校外に出られず、教員は校内に入れなくなった。 

厳しい措置が取られる直前、外国人教員の人事や生活万般の面倒を見てくださっている北京大学国際合作部主催のイベントに参加した。開学124周年記念として外国人教員が招かれ、各学科主任がホストとなって、校内の未名湖から新緑の風が吹き抜ける伝統的平屋建築の臨湖軒で、歓談のひとときを楽しんだ。 

集まった学者の出身地は米国、イタリア、ドイツ、スイス、中国台湾など、専門も哲学、生命科学、宇宙工学、数学、芸術などさまざまだ。学生のカルテット演奏を鑑賞した後、アフタヌーンティーを賞味しながら、外国人教員たちのスピーチに耳を傾けた。 

たる学者の面々は、初対面はみなシャイで、いつも研究室で本や実験器具と向き合っている生活なのだろうなあと思わせた。それがマイクを握るや流暢な英語で(私だけ中国語)、自分の専門研究について語り始めたらもう止まらない。ゲスト教員の中にはホスト役の教授の指導教授だった方も何名かいて、いずれも専門が哲学だとかで、師弟間の和やかな会話が交わされていて、私もかつて大学の学部・修士課程時代に中国哲学を専攻していたので、会話の輪に加わらせていただいた。学問に国境はない、真理探求において研究に禁区はあってはならない、という思いを新たにした。 

そこには私のように日本から来ているもう一人の学者がいた。脳科学の専門家で、イベントの後、火鍋をつつきながら、お互いの来歴について語り合った。日本のトップ大学での職歴を持ちながら、米国の大学に転任し、北京大学の公募に応じ、北大での教歴はまもなく10年となる。中国語は勉強中だとのこと、授業も論文も全て英語で行っている。 

北京大学の学科にはまったく知り合いはおらず、縁もゆかりもない任地であったが、彼の研究履歴と、ジョブトークにより、採用が決まったという。ジョブトークとは関連学科の教員や院生・ポスドク(ポストドクター)の前で、英語で自分の専門業績をアピールするもの。さらにチョークトークがあり、専門学科の教員の前で、文字通り板書しながら研究計画について話し、質疑応答する。 

採用されたら早速スタートアップ資金が支給され、同僚と同じスタートラインに立つ。外部資金を獲得し研究プロジェクトを立ち上げ、実験を含む研究活動の成果を、『ネイチャー』『サイエンス』などのピアレビューのある権威ある雑誌に英語で投稿し掲載されることに全力を注ぐ。学科運営と研究生活のスタイルは米国型だ。研究成果の評価も欧米スタンダードだ。 

よく日本では優秀な頭脳が中国に流出していることを問題にする。高額の研究費や給料によって引き抜かれているのだという見立てだが、流出する人材にはプルだけでなくプッシュ要因もあることが忘れられていはしまいか。日本の大学で、見ず知らずの外国人を実績だけで判断して採用する、あるいは採用と同時に、研究の内容にかかわらず支度資金を提供する、という例はあまり聞いたことがない。 

中国のことだから実用本位の政策科学が優先なのだろうという思い込みも実情と合わない。大学の全学科で世界で通用する研究を目指してしのぎを削る。それでこそ世界のトップ・ランキングに名を連ねることができる。ローカル・ルールは通用しないのである。 

  

北京大学キャンパスの臨湖軒で行われた外国人教員を招いての懇談会(写真提供・北京大学国際合作部) 

 

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